欧州旅行⑨ Zagreb, Croatia→Sarajevo, Bosnia and Herzegovina
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前回は上から。
こんばんは。
ついこの前、映画「アンダーグラウンド」を観ました。
WWⅡ~ユーゴ紛争までのユーゴスラヴィアの歴史を悲劇的・かつ喜劇的に描いた作品です。
個人的な評価にはなりますが、ストーリー・音楽・配役は今まで見た映画の中でも完璧と言わざるを得ない出来でした。
特にジャズや民族音楽もごっちゃまぜにしたような疾走感あふれる劇中音楽が印象に残ってます。ストーリーも詳しくは触れませんが、複雑な民族問題をはじめ様々な火種を抱えていたユーゴスラヴィアという国の特殊性をうまく人間関係に落とし込んでいて、さらにラストシーンに来るメッセージ性の強いセリフが心を抉ります。
ストーリーも実際はすごく辛気臭い話のはずなのに笑いながら見れてしまうところがすごいです。全編三時間と割と長丁場ですがジェットコースターのように過ぎていきました。
あとメイン人物3人のひとり、セルビア人女優ミリャナ・ヤコヴィッチが綺麗。でも今や50歳近いはずなので今や立派なスラブおばさんになっていることだろう。時の流れは残酷なので、あえて彼女の現在は画像検索していない。
ユーゴの歴史がわからなくても十分楽しめます。歴史がわかればなおさら。
レンタルでも手広く扱っているはずなのでぜひご覧あれ。
とまあいきなり話もそれましたが、今回は「アンダーグラウンド」でも描かれたユーゴ紛争の主戦場、ボスニア・ヘルツェゴヴィナはサラエヴォに行ってきた話です。
前回のプリトヴィツェ湖畔国立公園を訪れた日の翌日、この日は午後からサラエヴォに移動する予定だったので、午前中はひとまずザグレブ市内で暇をつぶすことにしました。
どうやら朝早くから町の中心部では青空位置が開かれてるとのこと。
どれどれ、行ってみようではないか。
食料品から日用品まで、何でも売ってます。
とはいっても生鮮品を買う用事はないので、ひたすら見学して冷やかしての繰り返しでした。ザグレブではほかに東洋人を見ることがなかったので明らかに浮いてます。
ちなみにクロアチア内陸部はハムやサラミ、ソーセージといった肉の加工食品も有名らしいです。おまけに安い。対するアドリア海に面した地方になると、シーフードが一気に増えます。
街並み。落ち着いた感じです。
ザグレブ名物、超短いケーブルカー。
隣の階段で上まで全然行けちゃいます。
ユニークな絵柄の聖マルコ協会。クロアチアは大部分がカトリック圏です。
そしてその近所のクロアチアの国会議事。
小っちゃ。目の前で車路駐してるし。国会議事堂だけ比べて言うのもなんですが、こうして見るとなんだかんだで日本も大国ですよね。
そしてこちらが聖母被昇天大聖堂。
荘厳なたたずまいです。
内部はこんな感じ。ちょうど礼拝か何かのタイミングと重なっていたみたいで、結構人が集まっていました。
そういえばイースターが近かったんですよねえ。
ザグレブ市内をざっと見た後、いよいよサラエヴォへと経ちます。
バスターミナルから空港まで向かい、そしてプロペラ機で飛ぶこと約50分。
サラエヴォの空港へと降り立ちました。
機体からバスで空港ビルへと入った瞬間、ここはなんだかほかの場所と違うと感じます。なぜか?とにかく暗いのです。圧倒的に照度が足りません。本来点いているべきであろう箇所に電灯が灯っていません。謎です。電力不足か何かわかりませんが…
不安を胸にイミグレーションへ。ここでは特に問題なし。
そしてユーロとクロアチア通貨クーナをボスニアの通貨マルカに両替。
ドイツの旧通貨と何となく語感が似ているのは、歴史的な経緯があるらしいです。
空港からサラエヴォ市内はまあまあ離れているのでなんらかの交通手段を採用する必要があるのですが、困ったことにこの空港はエアポートバスといった類のものはなし。とりあえず空港前に車を停めているおっちゃんにアイコンタクトをとります。
頷くおっちゃん、そして「くぁwせdrftgyふじこlp;@:?」
。。。たぶん、「どこ行くの?」だろうな。
とりあえず旧市街のランドマークである「Latinska Bridge」と答え、地図で指し示す。
おっちゃんはわかった感じなのでとりあえず白タクに乗り込む。
おっちゃんと二人きりの車内。
もちろんおれはボスニアを訪れるのは初めてなのでボスニア語は全く理解できない。
にもかかわらず、なぜかこのおっちゃんめっちゃ話しかけてくれる。
東アジア顔が珍しいというのもあるのかもしれないが、とりあえず、「どぅーぶろ、どぅーぶろ(good)」と返しておきます。笑
そして車からの風景を何となく見ながら気づいたことが一つ。
うっすらと予想はしていたのですが、やはり銃撃を受けた跡が残る建物が多い。
そして山肌に見える白い物体の数々は、おそらく墓。
街の様相がすでに歴史を物語っていました。
サラエヴォの交通状況は非常に混雑していて、さらには運転マナーも概して良いとは言えません。時にエキサイティングな運転をしているヤツを見かけるとおれとおじちゃんは顔を見合わせました。おじちゃんが言っていることはわからず相変わらずくぁwせdrftgyふじこ状態だけど、なんとなく意味は察せる。「あいつやべえな。」でしょうね、たぶん。
そうこうしているうちに目的地へと着きました。エキサイティングなサラエヴォのトラフィックを潜り抜けたおっちゃんに「Hvala!(Thank you)」と礼を言い、サラエヴォの旧市街、バシチャルシァ内のホステルへと向かいます。
こちらがLatinska Bridge(通称:ラテン橋)。この付近でオーストリア皇太子フランツ・フェルディナンド夫妻がセルビア人青年に暗殺されました。WWⅠ始まりの地でもあります。
街のあちこちにあるモスクのそばにはミナレットが建っています。
かと思えばキリスト教の教会があったり、ユダヤ教の礼拝堂(シナゴーグ)があったり。
そう、ここはボスニア・ヘルツェゴヴィナはサラエヴォ。かつてオスマン帝国時代から先の紛争が起こるまでにキリスト教(カトリック・正教会)、イスラム教、ユダヤ教が共存していた、ある意味当時最先端のコスモポリタンな土地だったのです。
旧市街の風貌はオスマン帝国統治時代の名残が強いのでトルコ趣味が強いですが、新市街の方へ向かうとオーストリア=ハンガリー帝国の影響を受けた建物が数多く残っています。
この日はもう日も沈みかけていたので、散策は明日に回すことにしてボスニア料理で腹ごしらえを。
米だ!コメがあるぞ!
ボスニアでは米も食べるのか。
牛肉ベースの出汁が効いた煮込み的なやつでした。イスラム圏ですもんね。
そしてボスニアを代表するソウルフード、ćevapčićチェヴァプチチ。
これがまた噛んだ瞬間牛肉のうまみがジュッと出てきて、美味です。パンにはさんで食べます。
ご飯を食べてさあ寝ようか。。。
と思ったところでホステルの同じ部屋のドイツ人とアメリカ人に飲みに誘われたので、ホイホイついていっちゃいました。
互いの国の文化のこと、音楽やゲームといった他愛もない話、
さらには日本の原発の話まで(話を聞く限りドイツではすごく関心が高いようです)
こっちは正直あなたたちの会話を聞き取るのに必死でしたけどね!泣
ゆっくり、かつ確実にしゃべるのに非常に苦労しました。
すみません、もっと英語練習します。泣
GLIM SPANKYの「話をしよう」について
「阿吽の呼吸」という言葉がある。
2人の人物が言葉を交わすことなく意思を通じあえるようなさまを表すという意味だ。
よくスポーツの場とかで使われることも多い言葉だけど、実際にこんな様子を現実に体現している二人組にはなかなか会うことができないのが世の中の正直なところ。
なぜかっていえば、人間は簡単に言葉を介さずに意思疎通がとれるほど器用にできてないってことなんだと思う。
結局、大事なことはお互い言葉で伝えあわないと生きていけないのが、社会的動物人間の宿命だ。
繋がりあう勇気を
おれの敬愛するロックデュオ、GLIM SPANKYの一曲に「話をしよう」というものがある。
この曲は彼らの楽曲の中でもとりわけ温かみにあふれた歌詞で、激しい曲が多いGLIMの曲の中でもボーカルの松尾レミさんはこの曲だけは非常に優しく歌っているように聞こえる。
この曲の一節を見てほしい。
声無き声に勇気を 繋がり合う勇気を
ただ思ってるだけじゃ未来は何も変わらないから
気取る心じゃ伝わんない 言葉を超えて 話をしよう
アルバムを買ってから何度も聴いたけど、この一節は非常に耳に残る。
というのもこのころは、社会人になってからというものの、仕事の中のかかわりでしかほとんど人と話さなくなり、なんだかそれさえも薄く、浅くはかないものに思いがちで、
何か自分の思うところを相手に話しても無駄なんじゃないかと、一種の諦念が根付いてきたように感じる。
結局自分のことは興味を持ってもらえないし、自分も同様に相手のことに興味を持とうとしない。
そんな一方で、それは他人と繋がりあおうとしない自分の逃げの態度を他人の責任に転嫁してるだけなんじゃないのかってことにもうすうす気づいてる。
声無き声に勇気を 繋がり合う勇気を
本音で語らうのは本当に怖い。
相手が懐の中に抱く思いを覗けば、それに押しつぶされてしまうかもしれないという恐怖を感じることもあるかもしれない。
でも実際問題、世間の人々がみんなそうかというとそんなことはなくて、結局は自分が相手という鏡を前にして増幅されたヘイトの影におびえているだけに過ぎないという事実にある時ハッと気づくこともある。
ちょっぴり勇気を出して始めてみた何気ない会話から滲んだ思いが、人と人とを結びつけ始めることは多々ある。
自分の思いが受け取られたと感じる瞬間、他人に映るヘイトの影は消え去るから。
いくら技術が発達してコミュニケーションが多様化しても、Face to Faceに勝るものはない。最初の一歩を踏み出す重要性、すごく普遍的で当たり前なことなんだけど、忘れがちな大事なことをこの歌は思い出させてくれる。
気取る言葉並べないで 大袈裟なくらいの言葉にしよう
ねぇ話をしよう
「すみません」でも「ありがとう」でも「どういたしまして」でも、飾る必要はなくて、音として相手に対して言葉を発することからすべてが始まる。
繋がり合うこと―「阿吽の呼吸」なんて高等なものよりも、ちょっと勇気を振り絞ればできることに気づけて良かったよ。ありがとGLIM SPANKY。
欧州旅行⑧ The Plitvice Lakes National Park, Croatia
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前回は上からどうぞ。
wikipediaで見てみたら小さな国なのに8つもあるそうです。
アドリア海沿岸にはドゥブロヴニクやスプリットをはじめとしたアドリア海沿岸の旧市街群が点在していて、文化遺産に登録されているものも数多くあります。
そんなクロアチア唯一の自然遺産、プリトヴィツェ湖群国立公園。
かつて高校時代に写真集か何かを本屋で見かけたことがありました。
そこで見た段々状に連なる小規模な滝と湖沼の数々は、まさに自然の作り出した芸術と言わんばかりの景色でした。非常に心を打たれました。いつかここに絶対に行きたいと思っていました。
今回は、その思いが叶った瞬間の話です。
首都ザグレブからプリトヴィツェまでは、バスを使って2時間ちょっと。
夜が明けぬうちから市内の南にあるバスターミナルを発ちます。
乗客は自分を含めて5人くらい。まあ平日なので無理もありません。
そしてバルカン半島の丘陵地帯を2時間ほど眺め続け。。。
着きました。プリトヴィツェ湖群国立公園。
冬はシーズンオフのようで、エントランスもなんだか寂しい感じです。
しかしオフシーズンは入場料もピーク時の約3分の1ほどに落ちるのです。ラッキー。
入園早々出迎えてくれたのは
右手に映るは園内最大の滝です。写真を撮っている位置、結構離れているんですが大量の水が湖に流れ落ちる音が響いてきます。
日本でいえば那智の滝クラスの大瀑布がいきなり出迎えてくれました。
これからどんなものが見れるんだろうと期待を胸に、園内を進みます。
エメラルドグリーンに染まった湖に段々状の滝が流れ込み、さらにその上の湖にはまた別の滝から水が流れ込んでいます。
そして滝の上に木で作られた小径がいくつも。
画質はそんなに良くないですが、動画も一応あげておきます。
シーズンオフゆえかあちらこちらで修理を行っている模様でした。
そして、特徴的なのがこんな険しい場所に根を張る植物群。
よくよく見るとフキノトウにそっくりです。ていうかフキノトウですよね。
ちなみにこのとき外気温はほぼ5℃前後、水温も魚がいるにはいますが相当に低い。
そんな厳しいなかを、雪解け水で勢いを増す流れにも負けず生長する様は天晴だ。
ひとまずは先ほど見えた大滝を目指して歩きます。
大滝は最初にたどり着く大きな湖の下にあるので、自然と湖から零れ落ちる滝の流れを縫うようにして作られた小径を通らねばなりません。
しかし時は2月の中旬。雪解け水のせいで水量はいつもよりも多めなので、写真のように流れに道をふさがれているところも。申し訳程度に敷かれた板も流れの前に無効化されている。
しかしここを通らねば大滝のふもとには行けない。
・・・
先ほども書いたが外気温は約5℃前後。そして流れ続ける雪解け水。
それ行けえ。。。
ひえっ、ちめてえ。
ひんやり外気と雪解け水のコンボは、温暖な気候のもと甘々と暮らす瀬戸内の民を黙らせるには十分。
…よく考えればここを通って大滝を見た後はまた戻ってこなければならない。
が、苦労してたどり着いた景色というのは、見ごたえのあるもんだなと思う。
ありえないほど水飛沫が飛んできます。ディズニーとかユニバとか比にならないくらいに。
どこを撮ってもとにかく絵になります。
ちなみに水質はこれほどクリアです。
せっかくの防水カメラなので撮ってみました。
お魚さんもいっぱいです。水温の割には活発に動いています。
プリトヴィツェはマスが有名らしいですが、ここに映っているのはすべてコイの仲間。日本でいえば、オイカワとかウグイとかに類する種かと思われます。現地語で何と呼ばれるのか聞いたのですが、忘れちゃいました。
修理中の風景です。
丸太を一つ一つ切り取って繋げて、通路としております。
結構園内は広いのですがそのすべてがこうやって人の手で作られていると思うとなかなか大層なことです。
少し高いところから見下ろしてみても本当に信じられない光景です。
日本だったらきっとこういうのも上から見るだけで終わっちゃったりしそうですけど、実際に下に降りてまるで湖の上を歩くようにコースが設計されているのって本当にすごいと思います。
湖に落ちても責任は自分たちにあるということを観光客側がしっかり認識しておかないとこういうことはできないんだろうなあ。柵をつけたりしない点も本当に素晴らしいです。
もう、なんでも綺麗に見えてしまいます。
ここで下湖群エリアから上湖群エリアに移動すべく、桟橋から船を使います。
バルカン半島に広域に展開しているスーパーマーケットKONZUMで買ったパンやサラミ、謎のペーストを使ってゲストハウスで作ったサンドイッチでランチがてら船を待っていると、どこからともなくツアー観光客が現れました。東アジア某国からと思われます。
おかげで乗るころには満員御礼。
上湖群エリアの桟橋に着くと、浅いエリアにも関わらず大量の魚影が。
おそるおそるカメラを水に漬けて写真を撮ってみます。
わらわら。
マスは一匹もいません。ぜんぶコイの仲間的な何かです。
一番手前のやつとかなぜかカメラ目線でちょっとムカつきますね。
ちなみに上から見るとこんな感じです。うじゃうじゃ湧いていますよ。
上湖群も引き続き、おとぎ話のような世界観が広がっています。
まるで妖精でも出てきそうな、そんな神聖な雰囲気を醸し出しています。
冬でこそ木の葉も、草も茂ってないような状況ですが、季節によってここは違う顔を見せてくれそうです。
もちろん、この時期でしか見られないものもあります。
ここらへんは台湾から来たというおじさんと一緒に回ってました。
キクラゲ?でしょうか。野生のものは初めて見ました。
ちなみにクロアチアはトリュフで有名です。
いよいよプリトヴィツェもラストスパートが近づいてきました。
上湖群深部を目指します。ベールのように水が流れ落ちる場所があるとのこと。
水の流れの上を歩きながら移動なんて、本当に素敵すぎです。
この道の先に見えるのが、それなのでしょうか。
これまで見たことがないほど幅の長い滝が続いています。
水めっちゃかぶります。カメラで写真撮るのも一苦労です。
何度も言いますが、こんなに美しい、素晴らしい景色が本当に自然の手によって作られたという事実に驚きを感じえません。
なんてひとりで感心していると、刻一刻と帰りのバスの時間が近づいていることに気づきました。これを逃すと帰りが相当遅くなってしまうので、すこし急ぎ足で台湾のおじさんに別れを告げ、帰りのバス停に向かいました。
歩いて向かうと割とギリギリな時間だったのですが、ちょうど園内周遊バスの姿を見つけたので少しだけ余裕をもって帰りのバスに乗ることができました。
帰りのバス亭には日本人カップルがおりました。
ヨーロッパを回られているようで、旅の話が弾みました。
そんな感じで1週間ちょっとぶりに日本語をしゃべって、再びザグレブへと戻りました。
非日常的な風景を堪能できて、高校生時代からの夢をかなえることのできた、本当にいい一日となりました。
実はこの後もまだ元気があったので、ザグレブ市内にある「失恋博物館」なる面白スポットに行ったのですが、そのことは。。。
まあまた次に書くかもしれないですし、書かないかもしれません。
グルメサイトとかについて考えてたら
こんばんは。
突然ですが、みなさん食べログとrettyとぐるなびとか、いわゆるグルメサイトと呼ばれるサービス使ってますか???
アプリさえ入れておけば旅行先でも、ちょっとした出先でもスマホでちょちょいと調べて近所のおいしいレストランやカフェが見つかる、非常に便利なサービスです。
例えば広島でお好み焼きのお店を選ぶにしても同じような店が並んでどれを選べばいいのかわからない、なんてことありますよね。
このお店よりも☆が多いからあっちのお店にしよ~、なんて最近ではよくあることじゃないですか?
おれの周りでも使ってる人たくさんいます。
今やだれもが「正解」のお店を求めて情報を活用している、そんな風に見えます。
でも正直、そういった世間の様相に違和感を感じえない。
いつからか人々は、ハズレを引くことを恐れすぎて、名も顔も知らない他人のレビュー
に自らの価値観をゆだね、結果として皆が皆普遍的な方向へ向かおうとしている。
そういった状況をまさに表しているのが、冒頭に触れたグルメサイトの発達したような世の中であるように感じます。
例えば映画を見に行くにしても同じです。
映画.comやyahoo映画、Filmmarksにetc...気になった映画のタイトルをgoogleの検索窓に打ち込むだけでその映画の展開やストーリーをまとめたネタバレ内容から演者の評価に至るまで、あらゆる情報を得ることができる。
あなたはシン・ゴジラを観たとする。
劇場を出た後にすぐさまスマホに打ち込む「シン・ゴジラ 評価」、やがて見つけた一つのレビューはあなたが映画に対して感じた印象をまるで代弁するかのようにまとめてあるとする。
「自分と同じような感想を持っている人がネットにも書かれているなんて!!」
あなたはさぞ興奮するだろう。
同じ映画を見た人々と感情を共有したいあなたはもっとレビューを読みたいと思い、スマホの画面をタップする。
そして次に見たレビューがシン・ゴジラの内容をこきおろすようなものであったとき、そこには案の定、レビューに対する批判の数々が書き込まれていることでしょう。
そのレビューを見た瞬間、あなたの頭の中では何を感じていたかもかかわらず―全面的ではなくとも、ネガティブなレビューに対して部分的に肯定できる部分があったとしても―「こんな意見を言ったらみんなから攻撃を受けてしまうんだ」という意識の刷り込みが行われてしまう。
そしてあなたの意見は攻撃を行う多数のレビュワーのそれと同化し、一抹の違和感を封じ込めながら翌日は映画の感想を得意げにレビューの内容に触れつつ語ることになるのだろう。
とまあ、こんなどこにでもありそうな話の中に触れたように、作品や料理を選んだり、あるいは評価を下すなかで「失敗したくない!!」という気持ちが人々のなかで近年は非常に強くなっているように感じる。
もちろん何かを味わう、楽しむために先人の下した評価を参考にするのは間違いではない。そういった面を考えればレビューサイトも使いようによっては非常に有意義なものとなる、とは思います。
問題なのはレビューの意見を決して絶対化することはなかれ、という点です。
近年ではネットを見ていると大概の意見は匿名で書かれているし、気になるワードでググればお望みの情報がまとめサイトでパパッと出てくる始末だ。
ものすごく軽いサイズで、即座に出てくるだれが書いたかもわからないようなインスタント記事に、果たして自分の感情を任せていいのか?という点には常に警戒心を怠るべきではないと思います。
そしてネットというものは情報の発信者の顔を見ることなく情報の入手が可能なツールゆえに、ついつい自分にとって都合がいいような情報を手に入れてしまうと人間はついついそれを帰依しようとする節がある。まるで正解は一つしかないように語る意見―一般化されたに迎合することでまるで自分が正義になれたかのように錯覚して気持ちよくなってしまう。迎合を許されないいびつで個人的な感情を最大限封じ込めることによって、安心を手軽に手に入れることができる、ネットはそんな役目を果たすのに大きな役割を果たしている、ように感じます。
親切心でいい情報を教えてあげようといった動きのもと作られた仕組みが、結果としてハズレを手にしたりするような人々や、多数派の意見に迎合できない人々を攻撃して、人びとに安心を手に入れたように錯覚させるようなはたらきを助長しているように、おれには見えるんです。
なんにしても失敗を選択することに対して世の中のハードルは上がりすぎている。
なんだかそういう違和感を感じてか、最近はレビューサイトとかそういうものに知らず知らずのうちに左右されてしまって、自分の感性を駆使して物事の価値を判断する力を養う能力が欠けてきてるように感じて、すごく怖くなったりする。
言ってしまえば現代は情報過多のためにどうしても少数派の意見が悪目立ちし、たたかれる構造にあるのかもしれない。でも決してそれを鵜吞みにして自分の中で絶対化するんじゃなくて、自身固有の価値を中心に据えつつ情報を取捨選択するスキルというものは、結果として自分の身を守るためにすごく重要になってくるんだと思いました。
キノコ狩ってきた
地元のガイドクラブが毎年開催しているというイベントで、大まかに要旨を言えばキノコをひたすら狩ったのち、プロフェッショナルの目利きフィルターでOKが出たものを持って帰れるというものだ。
私は前々からとりわけキノコに対して興味があったというわけではないが、もともと自然の中で何かを採って食べるというのが好きな性分である。
偶然ネットで案内を見かけた30秒後には空き定員を問い合わせる電話をしていたあたり、やはり自分の中でハンティング寄りなイベントに対しては強い意欲を呼び起こすのだなあ、と改めて自覚した。
ちなみに今回はなんとなしに勤め場の同期にも声をかけ、参加してもらう運びとなった。
突如として「キノコ狩りに行こうぜ!」って言われてもホイホイついてきちゃうあたり、非常に心配だ。
さて、実際に当日キノコを求めてやってきたのは山のふもとの茂みの中だ。
探し方は単純。山の斜面をはいずり回り、ジメジメしたキノコの生えそうなところをひたすら探し回る、それだけだ。
それを繰り返していけばだんだん目も慣れていき、どこに生えていそうなのか目星がつくようになってくる。少なくともこういったやり方は我々初心者の段階では間違いないと感じた。
しかしキノコ狩りというものは熟練者と初心者との間で明らかに差が分かれる。おそらくプロフェッショナルにはプロフェッショナルなりに経験と知識に裏付けされたコツを持っているのだろう。
我々初心者は毒キノコかそうでないものかを判別する知識も経験もない。
鑑定はプロに任す以上、手あたり次第にキノコを狩るのみ。
とまあ、こんな具合に木の陰にひっそりとキノコは息をしているものである。
我ながらなんとも秋を感じさせてくれるいい写真を撮ったものだと感心する。
一見色もよさそうでソテーにしたら美味そうだと思ってしまうビジュアルをしているが、このキノコは鑑定の際に弾かれました。毒キノコでした。悲しい。
ここが我々の戦場。
茂みをかき分け、キノコを求めさ迷い歩く。
夏の忘れ物もあり。
2時間ほど探して回り、採れたキノコは種類を問わずこれくらい。
プロフェッショナルの方に教えていただいたのだが、食用に適さないキノコというのは明らかに変な異臭を発している場合が多いのだという。この中にも魚の腐ったようなにおいを発するものもあり、言うまでもなく鑑定でははじかれた。
こちらは同行者の採ったアミタケの一種。文字通り、かさの裏が網状になっていることが名前の由来だ。こちらはその網状の部分こそ消化が悪く食用に適さないが、そこさえ取ってしまえば何ら食べるには問題はないという。
というわけで下処理を行います。
結構簡単に剥けていた。
ショウゲンジダケ。今回最も多く採れた食用キノコ。
様々な調理法に向く、万能キノコ。
ここに写っているもの、八割以上が食用に適さない。
持って帰ることができたのはショウゲンジダケと前述のアミタケ、そして写真を撮り忘れたクリフウセンダケとカノシタ、そしてムラサキアブラシメジモドキだ。最後のやつはなかなかに強烈な名前だ。一回聞いただけで名前もすんなり覚えてしまった。
写真が見たい人はググってくれ。
そんなわけで持ち帰ったキノコを、
ベーコンと一緒にソテーにしていただく。
ワイルドさあふれる味が特徴だ。もちろん自然のものなのでキノコの中にマイクロ級のよくわからん森のお友達が巣を作ってたりもするが、まあそこはご愛嬌。
一緒に油で炒めて、跡形もなく滅して我々の血肉の一部として迎え入れてやろうではないか。
前の方に映っている青紫っぽいのがムラサキアブラシメジモドキだ。写真あったな。
欧州旅行⑦ Paris→Zagreb, Croatia
久しぶりの旅行記です。
前はどこまで行ったっけ。。。
と思い返して前回の記事を書いたのが約2か月前と気づいて、自分のサボりっぷりに半ば呆れております。
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パリの二日目にオルセーを訪れて、いよいよバルカン半島はクロアチアに向かおう、という日の出来事について今回は書きたいと思います。
バルカンにたどり着くまでは紆余曲折あったのですが。。。
とりあえず書いていきます。
パリの三日目の朝は、近所の公園でブックマーケットが開かれているとのことで散歩がてら何となしに訪れてみた。
というのもこの日のうちにはパリ郊外のCDG空港からクロアチアの首都、ザグレブに向かう予定だったので十分な時間があるわけではない。少ない時間で必死に観光地を回ったりするよりも、町の人々の生活を観察して回ったりするほうが性にも合っているので、お金もかからないし。。。
とまあその前に、溜まった洗濯物を片付けにひとまず先にコインランドリーへ。
ところが困った。当然ながら使い方やら何まで英語表示でなくフランス語表示なので洗濯しようにも洗剤の買い方さえも全く分からない。
右往左往していると、乾燥待ちのおばちゃんが様子を見かねて近づいてくれて、言葉がわからないなりに一生懸命説明してくれた。
洗剤はこうやって出すのよー時間はこうやって調整するのよー乾燥はこっちよー
ってな感じで。
言葉はわからないけれど、お互いジェスチャーでコミュニケーションを取り合い、どうにか自販機で洗剤をゲットして洗濯槽を回すところまでこぎつけた。この時点で何となく乾燥機の使い方もわかったのでおばちゃんにMercy!!Mercy!!!と告げてから洗濯の合間に例のブックマーケットを訪れることにした。
ほぼ一般人と思われる人々が、フリーマーケット感覚で古本を売買している感じだ。
ジャンルも多様だ。雑誌から古典か?と言わんばかりの朽ちかけた物まで取り扱いがある。しかしもちろんそこは芸術の都というだけはあって、美術関連の書籍が比較的多いようには感じた。
朝日を浴びながら隣の公園では読書に励む人々も数多くいた。
ランニングをしたり犬の散歩をしたり音楽を聴いたり過ごし方は人それぞれだ。
日曜日の朝ということもあってか、遊びに来ている親子連れがとても多かった。様々な肌の色をした子供たちが一緒に遊んだりしているのを見ると、どうしようもない世の中のいざこざなんか知らないままこの子たちは大人になってしまえばいいのに、なんて思う。
ちなみにこの公園にはミニ遊園地が併設されていた。
日本ではこういうところを見かけたことがないので驚いた。
こんな感じでブックマーケットを冷かして、洗濯物の乾燥中にもうひと散歩を終えて、ぼちぼちクロアチアに経つ準備を始めた。
メトロとRERと呼ばれるパリの郊外線を乗り継いで、昼過ぎごろに一路CDG空港へ向かう。
夕方のフライトには間に合わせないといけない。
空港へ向かうために乗る必要のあるRERのB線はパリ市内の公共交通機関の中でも治安の悪い北東エリアをメインに通るため、あまり良くない前評判を聞いていたので最大限の警戒心を持って臨んだ。
なるほど確かに聞いていた通り、プラットフォームからすでに様子がおかしい。
空港へ向かう旅行者ももちろん多いものの心なしか雰囲気はピリピリとしているし、軍手をした怪しい長身男がチラチラとこちらのほうを伺っている。非常に怪しい、こいつとは別の車両に乗ろう。
結果として旅行者同士が身を寄せ合って乗るような形になった。
パリは中心街を離れるとガラッと風景が変わる。
どんな雰囲気なのは写真を見てもだいたいは伝わると思う。
ユーロをねだってくる車内パフォーマーのバイオリン弾きをかわして、CDG空港に到着した。手続きはさっさと済ませたいのでチェックインカウンターへ向かい、Eチケットとパスポートを見せる。
しかしどうやら手間取っているようで、何か問題があるのか尋ねてみると、とんでもない事実が発覚した。
「あなたの取ったフライトは一か月前のものね」
・・・・はい!???
呆然とした。何も考えられなかった。
まさに痛恨のミス、今となってはなぜこんなに馬鹿馬鹿しい間違いを犯したのかはわからない。今からチケットを変えないかと聞いてみたが。しかし現在準備中のフライトにはどうやっても乗れない、ということだ。。。
チケット代自体は1万円ちょっとだったため金銭的なダメージはさほど大きくはない(欧州内のLCCは割と安い)。しかしそれよりも時間的なダメージが大きい。最短でザグレブ行きのチケットを買い直せるのは翌朝発のブリュッセル経由便のみとのことだ。
要するにほぼ丸一日を移動に持っていかれることになってしまった。ただでさえ短い旅行期間にこれは非常に痛い。さらには今晩の宿もない。どーするよおれ???
とまあやらかしてしまったことは悔いても仕方がないので空港近辺で適当なビジネスホテルを取り、今日泊まるはずだったザグレブの宿にもチェックインが一日遅れることを伝え、とにかくこの日はふて寝することにした。
されどショックはまあまあ大きかったので、ここら辺で何をしていたのか正直あまり覚えていない笑
おそらくは、空港のベンチで呆然としていた時間が長かったのだろう。。。
~翌日~
昨日の悲劇を乗り越え早朝よりのフライトに備えるために盛大なふて寝をかましていたのでこの日は起きた時点で元気はメガMAX。ブリュッセルの空港を乗り継ぎ、ついにバルカン半島へ旅立つ。ブリュッセルからザグレブはジェットエンジンなどなく、プロペラ機だ。
※ちなみにこの約一週間後、日本に帰国した翌日にブリュッセルの空港でテロが起きた。旅程がずれていたらと思うと恐ろしい。
到着はこぢんまりとしたザグレブの空港。
雪を冠する山脈を越え、ようやくたどり着いたバルカンの地。
ここからはもはや西欧の世界ではなく、東欧の世界、スラブ圏だ。
エアポートバスで首都ザグレブの市内に向かう。ザグレブは本当に小さな町で、本当に一国の首都かとは信じられないほどの規模で、観光するにも半日あれば十分なほどだ。
ゲストハウスで荷物を降ろした後はとりあえず市内を回ってみた。
市内は市民の足であるトラムが24時間運行されていて、正直これくらいの規模で夜中に乗る人はいるのかと多少疑問に思うところだ。。。
この銅像の人はイェラチッチ総督と言って、国民的英雄的な人物らしい。
ザグレブの中心街のランドマーク、イェラチッチ総督広場は市民の憩いの場でもある。
(昼間撮影バージョン)
夕食はスーパーで買った適当なパンやら肉類やらいろいろをいただいた。
欧州は乳製品が安くて本当に安かる。ケフィアを普通に売ってるあたり東欧感がある。
そしてクロアチアについたこの翌日は憧れの地であるプリトヴィツェ湖畔公園に行くことを心に誓い、この日は眠りについた。
長くなった。。。おやすみなっさい。
西域になぜ惹き付けられるのか
今日は古本屋美術展の図録を買ってきた。1991年東京国立博物館で開催された特別展のものだ。
特別展の名前は、「ドイツ・トゥルファン探検隊 西域美術展」
西域―中国西部の新疆ウイグル自治区からトルキスタンと称される中央アジア一帯のエリア、なぜか自分はこのエリアの文化や習俗、歴史に強く惹かれるのです。
西域は古くより中華文明とインド文明、そしてメソポタミアをはじめオリエントやヘレニズム文化圏をもつなぐ、交易で栄えたという絹の道ことシルクロードの要衝が連なる。
もちろん商業上の要衝ゆえに、この地は何度も戦火に苛まれてきた、そしてあらゆる民族や文明が代わりがわり自らの支配を打ち立てては滅び去り...といった歴史が繰り返されてきた場所でもある。
個人的に大好きな漫画、「シュトヘル」もモンゴルに滅ぼされる運命にある「西夏」と呼ばれる国の文字を守る…というストーリーだ。西域の歴史の一端が描かれている。
今でこそ西域に根を張るのはウイグル人をはじめとしたムスリムが大半らしい。しかしこの西域という地域からはおびただしいほどの仏教関連美術品、それもヘレニズムやインドのガンダーラの影響を受けた、文化の交差点としての性質を併せ持ったものが多数出土している。
かつて仏教の一大興盛地だったことをこの地域の出土品たちは今も語っている。
文化・文明の交差点というのは常に争いの火種になりやすい。今の世界情勢や学んできた歴史を振り返ってみるとそれは自明の理だ。滅ぶものもあれば、生き残るものもある。
自分が強く興味を惹かれるのは、滅びゆく者が遺していったものの方だと感じたのは、おそらく井上靖の「敦煌」という小説を読んだからだと感じている。
敦煌という町の石窟寺院から出土した、大量の経典などをモチーフにした歴史小説なのだけれど、今にも滅びの危機にあるにもかかわらず、その時にどういった思いをもってどんな人々がなぜそんなものを遺したのか、という思いが非常に自分の胸を突いたのを覚えている。
なにかを遺すこと、命をつなぎ子孫を残すこと以外にそんな方法を志した人々がいたことに、なんだか心が動いてしまう。上記したようにかつては仏教文化圏だった西域も今やムスリムの文化圏が多数を占める。出土品の語る西域の文化は今そこにすんでいる人々のものとは別物であることが、余計に心を打つ。現代との連続性のなさゆえの面白さだ。
あらゆる文化や民族がぶつかり合い、独自の様相を生み出し、そしてタクラマカン砂漠のなかに消え去った人々の思いの数々―悠久のロマンを感じさせる出土品の数々が、今も自分のような人間を惹き付けているのだろう。