欧州旅行⑨ Zagreb, Croatia→Sarajevo, Bosnia and Herzegovina
karinto-monster.hatenablog.com
前回は上から。
こんばんは。
ついこの前、映画「アンダーグラウンド」を観ました。
WWⅡ~ユーゴ紛争までのユーゴスラヴィアの歴史を悲劇的・かつ喜劇的に描いた作品です。
個人的な評価にはなりますが、ストーリー・音楽・配役は今まで見た映画の中でも完璧と言わざるを得ない出来でした。
特にジャズや民族音楽もごっちゃまぜにしたような疾走感あふれる劇中音楽が印象に残ってます。ストーリーも詳しくは触れませんが、複雑な民族問題をはじめ様々な火種を抱えていたユーゴスラヴィアという国の特殊性をうまく人間関係に落とし込んでいて、さらにラストシーンに来るメッセージ性の強いセリフが心を抉ります。
ストーリーも実際はすごく辛気臭い話のはずなのに笑いながら見れてしまうところがすごいです。全編三時間と割と長丁場ですがジェットコースターのように過ぎていきました。
あとメイン人物3人のひとり、セルビア人女優ミリャナ・ヤコヴィッチが綺麗。でも今や50歳近いはずなので今や立派なスラブおばさんになっていることだろう。時の流れは残酷なので、あえて彼女の現在は画像検索していない。
ユーゴの歴史がわからなくても十分楽しめます。歴史がわかればなおさら。
レンタルでも手広く扱っているはずなのでぜひご覧あれ。
とまあいきなり話もそれましたが、今回は「アンダーグラウンド」でも描かれたユーゴ紛争の主戦場、ボスニア・ヘルツェゴヴィナはサラエヴォに行ってきた話です。
前回のプリトヴィツェ湖畔国立公園を訪れた日の翌日、この日は午後からサラエヴォに移動する予定だったので、午前中はひとまずザグレブ市内で暇をつぶすことにしました。
どうやら朝早くから町の中心部では青空位置が開かれてるとのこと。
どれどれ、行ってみようではないか。
食料品から日用品まで、何でも売ってます。
とはいっても生鮮品を買う用事はないので、ひたすら見学して冷やかしての繰り返しでした。ザグレブではほかに東洋人を見ることがなかったので明らかに浮いてます。
ちなみにクロアチア内陸部はハムやサラミ、ソーセージといった肉の加工食品も有名らしいです。おまけに安い。対するアドリア海に面した地方になると、シーフードが一気に増えます。
街並み。落ち着いた感じです。
ザグレブ名物、超短いケーブルカー。
隣の階段で上まで全然行けちゃいます。
ユニークな絵柄の聖マルコ協会。クロアチアは大部分がカトリック圏です。
そしてその近所のクロアチアの国会議事。
小っちゃ。目の前で車路駐してるし。国会議事堂だけ比べて言うのもなんですが、こうして見るとなんだかんだで日本も大国ですよね。
そしてこちらが聖母被昇天大聖堂。
荘厳なたたずまいです。
内部はこんな感じ。ちょうど礼拝か何かのタイミングと重なっていたみたいで、結構人が集まっていました。
そういえばイースターが近かったんですよねえ。
ザグレブ市内をざっと見た後、いよいよサラエヴォへと経ちます。
バスターミナルから空港まで向かい、そしてプロペラ機で飛ぶこと約50分。
サラエヴォの空港へと降り立ちました。
機体からバスで空港ビルへと入った瞬間、ここはなんだかほかの場所と違うと感じます。なぜか?とにかく暗いのです。圧倒的に照度が足りません。本来点いているべきであろう箇所に電灯が灯っていません。謎です。電力不足か何かわかりませんが…
不安を胸にイミグレーションへ。ここでは特に問題なし。
そしてユーロとクロアチア通貨クーナをボスニアの通貨マルカに両替。
ドイツの旧通貨と何となく語感が似ているのは、歴史的な経緯があるらしいです。
空港からサラエヴォ市内はまあまあ離れているのでなんらかの交通手段を採用する必要があるのですが、困ったことにこの空港はエアポートバスといった類のものはなし。とりあえず空港前に車を停めているおっちゃんにアイコンタクトをとります。
頷くおっちゃん、そして「くぁwせdrftgyふじこlp;@:?」
。。。たぶん、「どこ行くの?」だろうな。
とりあえず旧市街のランドマークである「Latinska Bridge」と答え、地図で指し示す。
おっちゃんはわかった感じなのでとりあえず白タクに乗り込む。
おっちゃんと二人きりの車内。
もちろんおれはボスニアを訪れるのは初めてなのでボスニア語は全く理解できない。
にもかかわらず、なぜかこのおっちゃんめっちゃ話しかけてくれる。
東アジア顔が珍しいというのもあるのかもしれないが、とりあえず、「どぅーぶろ、どぅーぶろ(good)」と返しておきます。笑
そして車からの風景を何となく見ながら気づいたことが一つ。
うっすらと予想はしていたのですが、やはり銃撃を受けた跡が残る建物が多い。
そして山肌に見える白い物体の数々は、おそらく墓。
街の様相がすでに歴史を物語っていました。
サラエヴォの交通状況は非常に混雑していて、さらには運転マナーも概して良いとは言えません。時にエキサイティングな運転をしているヤツを見かけるとおれとおじちゃんは顔を見合わせました。おじちゃんが言っていることはわからず相変わらずくぁwせdrftgyふじこ状態だけど、なんとなく意味は察せる。「あいつやべえな。」でしょうね、たぶん。
そうこうしているうちに目的地へと着きました。エキサイティングなサラエヴォのトラフィックを潜り抜けたおっちゃんに「Hvala!(Thank you)」と礼を言い、サラエヴォの旧市街、バシチャルシァ内のホステルへと向かいます。
こちらがLatinska Bridge(通称:ラテン橋)。この付近でオーストリア皇太子フランツ・フェルディナンド夫妻がセルビア人青年に暗殺されました。WWⅠ始まりの地でもあります。
街のあちこちにあるモスクのそばにはミナレットが建っています。
かと思えばキリスト教の教会があったり、ユダヤ教の礼拝堂(シナゴーグ)があったり。
そう、ここはボスニア・ヘルツェゴヴィナはサラエヴォ。かつてオスマン帝国時代から先の紛争が起こるまでにキリスト教(カトリック・正教会)、イスラム教、ユダヤ教が共存していた、ある意味当時最先端のコスモポリタンな土地だったのです。
旧市街の風貌はオスマン帝国統治時代の名残が強いのでトルコ趣味が強いですが、新市街の方へ向かうとオーストリア=ハンガリー帝国の影響を受けた建物が数多く残っています。
この日はもう日も沈みかけていたので、散策は明日に回すことにしてボスニア料理で腹ごしらえを。
米だ!コメがあるぞ!
ボスニアでは米も食べるのか。
牛肉ベースの出汁が効いた煮込み的なやつでした。イスラム圏ですもんね。
そしてボスニアを代表するソウルフード、ćevapčićチェヴァプチチ。
これがまた噛んだ瞬間牛肉のうまみがジュッと出てきて、美味です。パンにはさんで食べます。
ご飯を食べてさあ寝ようか。。。
と思ったところでホステルの同じ部屋のドイツ人とアメリカ人に飲みに誘われたので、ホイホイついていっちゃいました。
互いの国の文化のこと、音楽やゲームといった他愛もない話、
さらには日本の原発の話まで(話を聞く限りドイツではすごく関心が高いようです)
こっちは正直あなたたちの会話を聞き取るのに必死でしたけどね!泣
ゆっくり、かつ確実にしゃべるのに非常に苦労しました。
すみません、もっと英語練習します。泣