欧州旅行から帰ってきました
昨日、2週間のヨーロッパ旅行から日本に帰ってきました。
行程としては
→サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)→ドゥブロヴニク(クロアチア)
と巡ってきました。
当然のことなんですが、ヨーロッパとは言ってもやはり個別の国ごとに宗教や文化・食べ物のの違いなど様々な特徴があって、常に刺激にさらされてきた旅行だったなーと思っています。
今回のルート、いわゆる西欧地域だけでなくバルカン半島も含まれています。
というのも、以前からバルカン半島に興味があって、ヨーロッパに行くのであれば多少無理なルートを採用してでもバルカン半島に行きたいという思いが強かったからなんです。もちろん西欧地域にも興味があってそっちにも時間を割きたかったので今回は日程的にもボスニアとクロアチアにしか行けなかったんですが…
バルカンに興味を抱いたきっかけとしては、やはりおれが生まれたころに起こっていたユーゴ紛争のことが第一に挙げられます。
歴史の教科書で見ても単に「連邦崩壊に伴う独立志向の高まり・民族対立が原因で紛争が起きた」としか書いていないものをより知りたいと思うきっかけとなったのは、高校のころに見た2chのとあるスレッドでした。
(刺激の強い描写が多いので、一応注意です)
スレッド中で語られる物語はあくまでフィクションではあると語られていますが、フィクションだからこそ実際はどうであったのかを知りたいという気持ちは一層強くなり、やがて今回の旅行にまで至りました。
おれは今日頻発している紛争やテロとも、ユーゴ紛争は関係がないとは言い切れないと感じています。
根底にあるものは同じ。異なる宗教や民族、異質なものに対する恐れや不安がもととなり、血で血を洗う戦いが繰り返されている。異文化を受容するということは口で言うのは簡単だけど、これまでに繰り返されてきた歴史はそれがいかに困難な道であるかを証明しています。
ついこの記事を書く前にブリュッセルでテロが起こり、自分が乗り継ぎで利用した空港でも爆発が起きたと言うので非常に驚いています。少し旅程がずれていたら・・・
今回訪れたボスニア・ヘルツェゴヴィナもボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦とセルビア人共和国からなる連邦国家であり、ボシュニャク人とセルビア人は形式上は同じ国家に属しながらも、実質的には異なる二つの行政単位に分かれて生活しているのです。国内の民族対立は紛争が終わった今でも根深いのです。
今日の世界情勢を考えるうえで民族・宗教対立に関する知識は外せない要素だと思っています。そういう意味で、ボスニアを訪れることが出来たのは今後何らかの形で生きるであろう良い経験になったと感じたのと同時に、一方の日本は紛争に発展するほどの民族対立は今日では起きていないことから、改めて幸せな国だと感じました。
(もっとも、琉球やアイヌの人々といったように今やほとんど「日本人」と同化してしまっているのですが)
なんだかグダグダと綴ってしまいましたが、今後は個別の旅行記をアップしていこうと思います。