諸法無我

旅行記や、日々思うことについて

欧州旅行⑥ Paris part2

欧州旅行記もようやく半分くらいでしょうか、

パリ編パート2でございます。

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オルセーを訪れた後はパリのを流れる大河、セーヌ川の川岸を歩きながらエッフェル塔方面を目指す。

ちなみにパリではセーヌ川の南側を「左岸」といい、対する北側を「右岸」という。

総じて左岸の方が治安は良さげなイメージだ。

パリはとにかく地区によって治安の差が顕著なので、旅行に行く際は本当に気を付けたほうがいいと思う。特にパリの中でも18区をはじめとした北部は本当にパリなのか?と思わせられるような印象もある。あくまでイメージの話であり、決めつけてしまうことがいいことではないのだが、旅行中は用心に越したことはない。

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やはりパリでもとりわけ有名な観光地だけあってか人が多い。アジア人の姿も良く見受けられる。

しかしそれよりも目立つのがアフリカ系と思しき黒人たちの物売りの姿だ。自撮り棒やら怪しげなパリグッズを観光客に売りつけている。それも非常に数が多い。

彼らのバックグラウンドはアフリカの旧フランスの植民地からの移民か、それとも北アフリカの紛争地帯から命からがら言葉の通じるフランスに逃げてきて、こういった職に就いているのか…

地下鉄のホームの難民やスリが多く見られる事からも、我々日本人が思う以上にフランスという国は昨今のテロの頻発が象徴しているように混沌の最中にあるのかもしれない。そんなことを考えてばっかでエッフェル塔自体に対して、これといった印象がないのが正直な印象だ。

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夕食はスーパーで買った謎のよくわからんやつ。

ムール貝とサモサは良いとして、謎サラダはキヌアがメインなのだろうか。

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翌朝はやはりここは外せないということでルーヴル美術館を訪れた。

とにかくコレクションの量が膨大で、とても一日ではすべてを見切らない。特定の分野に絞って鑑賞しなければ、見たいものも見れずじまい、ということになりかねない。

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オルセーよりも古い時代の作品が多めなので、宗教画が必然的に多くなってくる。

 

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ナポレオンがイタリアからぶん捕ってきた絵らしい。

他にもルーヴル所蔵のオリエントコレクションやエジプトコレクションは非常に充実していて、ある意味近代帝国主義の遺産だ。

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モナリザの前は、ものすごい人だかりだ。

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勝利の女神であるサモトラケのニケ。実はあのNIKEマークと起源を共にする。

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やはりエジプトコレクションは至極の充実っぷりである。

遊戯王世代的にはエジプト感あふれるコーナーにはロマンを感じずにはいられない。

当時の人々の習俗や死生観を、遺されたものから知ることが出来る。

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猫のミイラまであるので驚きだ。

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ルーヴル、内部装飾も細かいところまで施されていて、つくづくフランスと言う国は美意識が高いのだなと感じさせられる。パリの街中は犬のウンコであふれてるけどな!

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この帳簿つけてる絵好きです。

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3年D組近代合理主義先生!!!

として知られるデカルトさんともお会いしました。cogit ergo sum~

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オランダ勢もいます。

フェルメールの「天文学者」なんか来日したときは大騒ぎだったけどこちらでは案外皆様素通り。あー、そういうものなのね…

 

特別展は星と神話をテーマにしたもの。

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特別ゲストはなんとヴェーダ―卿。

なぜかEP3のメイキングがずっと流れてた。ヘイデン・クリステンセンが若くて泣いた。

 

ルーヴルはざっとこんな感じでした。

この日はもうちょっと続きがあるので、ひとまずここで切りたいと思います。

久しぶり。

うっす!

お久っす!!!!

 

気付けばだいぶ放置してしまって前回の投稿から一カ月以上過ぎちゃいましたね。毎週日曜日のこの時間は憂鬱です。ブログ書こうと思ってもなかなか気が乗りません。土曜日はなんだかんだで忙しい。かといって平日には疲れて書く気にはならない。

気ままな更新ペースになりそうですが、大目に見てあげてください…

 

というわけで今回は最近のお出かけなんかについて書こうと思います。

 

7月

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上海に二泊三日の弾丸で行ってきました。

なぜ上海に?特に理由はなし。

ただ向こうでダラダラして、歩いて、飯食ってただけ。

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上海はとにかく人が多く、気温も37℃くらいまで上がるくらい暑いし、昼間に出歩くのはなかなか辛かったです。そして超大都会。

八角の匂いが街中から香っていると、中国来たな~て感じします。

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上海ではドリンクタイプのヨーグルトが流行ってるらしい。

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上海では今が旬のザリガニ。

エビとカニの中間っぽい味で、存外においしい。が、どこで採ったモノかとかはあまり知らない方がいいかもしれない。

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羊肉ラグメン。味をどう表現したらいいのかわかりません。美味しいんですが、とにかく日本だったら絶対に食べれない、って感じの味付けです。

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ファミマ(中国では"全家"という)で買ったヨーグルト風味のアイス。

安い割にめちゃくちゃうまい。中国に行く機会があったら是非とも食べてほしい。

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一応、老街的なところにも行きました。

2月に行った麗江を思い出します。

ちなみに今回は外国人も数多く利用するユースホステルに滞在したのですが同じ部屋の欧米人たち、ほとんどが昼間はずっと寝ていて夜になると活動し始める、といった具合で生活リズムが合わせづらく大変でした。いったい何してたんだろ彼らは。良くない遊びでもしてたんでしょうか。

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滞在先近くの通りです。南京東路というメインストリートのほど近くですが、道先で電動バイクがオラ邪魔だどけやと言わんばかりにプープー言わして夕方になると住民同士が大声で炉端で喧嘩を始める、「ああ、中国だな…」って喧騒も大都会のど真ん中ながら楽しめます。

まあ、文化だからね。これがこちらではフツーのことなんでしょう。

上海はまあこんなとこです。

改めて振り返るとほんと何しに行ってたかわかんねえ。

 

8月

8月6日は平和記念公園の式典に行きました。

オバマ効果もあってか、ここ最近は本当に外国人が増えたように感じます。

川辺で座っているときに話しかけたイギリス人カップルは日本周遊の途中だそうで、この日に広島という場にいることができて非常に光栄だ、広島の次は城崎温泉に行く…とのことでした。

今思えば彼らにイランの問題についてどう思っているのか聞いてみたかった。

まあ初対面でそんな難しい問題に取り合ってもらえるかわからないけど。

ただおれが外国人と話した時はなぜか捕鯨だとか原発だとか北方領土だとかのシリアスな話題を振られることが多かった。そんな経験を踏まえて思うのは、トピックに対し問題意識を抱いた上でもっと言葉を磨いて、自分の思うところを正確に発することが出来たなら…と言うことだ。後悔は尽きない。

 

山の日は鳥取県の山奥にある三徳山三仏寺修行に行った。

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こんな感じで険しい道のりを進みつつ山の奥地にあるお堂を目指すので、まさに修行だ。

修験道の修行場としては有名な、密教系の寺院だ。

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そしてこちらが最深部にある投入堂、国宝だ。

なぜ投入堂と呼ぶのか?名前の由来はというと、むかーしむかし、力を持て余していた超スーパー法力な陰陽師チックな人が建物ごと絶壁の窪みにサイコキネシスを利用して建物を投げ入れたから、とのことだ。

由来はともかく、なぜそこにお堂があるのか?

疑問は絶えない。修験の道は難しいのだ。

 

 

そして今日はというと、香川県ミュージアムに現代アボリジナルアートを見に行った。

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One Road=ここではCanning Stock Route(白人入植者が畜産・牧羊などの産業振興のために周辺を井戸などで整備した道)のことを差す。西洋の目線では語られることのなかったアボリジニの目線から、この道に対する彼らの世界観を描いた作品を展示する。

というのがだいたいの概要。しかしおれ自身がまだアボリジニの精神性や価値観というものを深く理解していないがゆえに、なかなかに彼らの世界観を理解・説明するのが難しい。

それほどに彼らの世界の見方は独特で、所有を基本原理とする経済システムに生きる我々とは対極にあるような、そういう考え方を表すようなイメージが、作品を見るだけでも伝わってきたような気がする。

確かオーストラリアでアボリジニに関する講義を聞いたときも、彼らの考え方には非常に独特なものがあったと記憶している。カンガルーも人もヘビもトカゲも、創世の時代はみんな同じものとして生まれたみたいな…だめだ思い出せない。

図説も買ったことだし、しばらくはアボリジニの世界観に浸ってみたいと思う。

 

 

欧州旅行⑤ Paris part1

だいぶながーくなりましたが、

ようやく旅行記再開です。

 

もう帰ってきてから三カ月が経とうとしていますが、まだ半分も書ききれていません。

一体いつになったら終わるのでしょうか笑

 

というわけで今回ははベルギーのバーでドイツ人とオーストリア人のおっさんコンビにベロンベロンに酔わされた翌日、二日酔いのパリ編です。

 

前回までのブリュッセル編はこちらを参照

karinto-monster.hatenablog.com

 

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高速鉄道THALYSでブリュッセル南駅からパリ北駅に移動。

パリ北駅に降りたら今までよりもピリッとした雰囲気が漂っているように感じました。

やはりテロを警戒してなのか、警官の数がこれまで訪れたどの都市よりも多い。移民っぽく見える人々も数多く見受けられました。

やはり前々から聞いていた通りパリは漢らずしも治安のいい街とは言えなさそうな雰囲気を電車を降りた瞬間からビシビシと感じます。身を引き締める思いで、これまたあまり評判のよろしくない地下鉄に乗り込みます。

 

パリの地下鉄に乗っていると、バイオリン奏者やヒップホップ崩れのパフォーマンスをする子供(まあ最後にメルシー、マネーと言ってくるんだけど)、そして明らかにスリだろうという者まで、様々な人々が見受けられる。

日本の地下鉄とはワケが違う。ちなみに日本人観光客が多い主要駅では「スリに注意してください」と言う日本語のアナウンスが流れて驚いた。それほどにパリの地下鉄は油断は禁物なのである。

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地下鉄のホームでは中東からの難民と思しき人々が彷徨っている姿も見る。思えばオランダでも「シリアから来た友達が困ってる。金よこせや」みたいなことを言って絡んでくる奴もいたし、中東で起きている出来事はヨーロッパにまで影響を及ぼしているほどの大きなダイナミズムであることを、このフランスにいてもまさに感じた。

 

いろいろ考えながら、そして二日酔いにうなされながらもユースホステルに荷物を置いた後やっとこさ辿りついたパリ最初の目的地は、近代西洋絵画の殿堂であるオルセー美術館だ。

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このオルセー、かつては駅舎だった建物を改装して美術館としたものらしく、エントランスを過ぎて最初に目にする広々とした空間はその名残と言ったところなのだろう。

ちなみにヨーロッパの美術館はどこもこんなご時世ゆえかボディチェックが厳しく、厳戒態勢を布いているという言葉がピッタリだ。

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ホドラー

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ロートレック

f:id:karinto-monster:20160627225447j:plainゴーギャン

 

近代を代表する画家たちの作品が一堂に会する、非常に豪華な展示内容。

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誰もが一度は見たことがあろう、ミレーの「落ち穂拾い」

ゴッホにも多大な影響を与えた、農民の生活にスポットを当てて描いた画家のひとりです。

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まさに今東京で展示中だっけ?

ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」

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ゴッホコーナーもあるよ

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でもやっぱり、タヒチシリーズに顕著に見られるような暖色豊かなゴーギャンの絵が好きだな~

 

オルセー美術館、個人的には翌日訪れたルーヴルよりも楽しめた気がしました。

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そろそろ寝ますので今日はこのへんで。

次回パリ編パート2に続きます。

 

 

ウナギを考える

今年の7月30日は何の日か、みなさんはご存知だろうか?

 

夏もいよいよ本番を迎えうとするその日は、ウナギを食べることで知られる「土用の丑」の日だ。

7月にも入れば、スーパーの鮮魚コーナーで「土用の丑」と書かれたウナギの販促用のぼりが散見されるようなシーズンになる。

もっとも、近年は土用の丑の前後だけでなく年中ウナギをスーパーで見かけるようになったが、やはりウナギと言えば土用の丑こそが我々日本人にとって、ウナギを食べる特別な日になるのだと思う。となればこの日のウナギ食習慣を広めた平賀源内の広告術たるや、いったいどれほど長けていたのだろうと…なかなかに興味深いものがある。

 

話を戻す。今日は平賀源内の話ではない。

平賀源内が広告を銘打った、ウナギ食そのものの話だ。

 

言うまでもなく、日本は世界におけるウナギの最大消費国であり、同時に最大輸入国でもある。

しかし二年前の2014年6月、事態は変わる。国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストニホンウナギが登録されたというニュースが国内を駆け巡った。

絶滅危惧1B指定、パンダと同じレベルでニホンウナギが絶滅の危機に瀕しているという判断を科学者たちは下した、ということになる。

これを機にウナギの価格は上がり、消費量はガクンと落ちていくのかと思いきや、事態はそうは運ばなかった。現在でも有効な規制も何も布かれず、国内での稚魚の密漁は依然と行われており、アジア圏に生息する近縁種に手を付けたりと日本人は自らの胃袋を満たすためなら何でもするのだな、という印象をここ最近は受けつつある。

(今回は触れないが、太平洋クロマグロやサンマに関しても問題構造が非常に似ている気がする)

 

…とまあ問題の背景にはちょっぴり触れたが、今回はそんなウナギマーケットを取り巻く構造上の問題の概説をするわけではない。今回スポットを当てたいのは我々消費者の態度にこそ問題があるのでないか、という話だ。

 

先ほどチラッと触れたように皆さんもウナギが絶滅の危機に瀕しているというニュースはもちろん耳にしたはずだ。

「このままじゃウナギが食べれなくなる」というニュースにショックを覚えた方も多少はいるはずだ。でもそれに対してこれからどうするか、どう消費態度を改めるか?と言う風に行動を伴った一般消費者は非常に少ないとみていいと思う。

でもなけりゃあ、あんなにスーパーに所狭しとウナギが並ぶ風景は見られまい。

火の無いところには煙は立たないし、需要のないところには供給はないのである。

 

そもそもを思えば、ウナギは年一回食べられれば良いもの、いわゆるハレの食べ物だったはずが、今や年中スーパーで販売され、回転寿司にて供されている始末である。季節感もへったくれもあったもんじゃないし、なんだか少し風情を欠いた景色にように見える時もある。まあこれは完璧に個人的な印象なのだが…きっと平賀源内も自らの打った広告が長い月日を経てこんな事態を作り出すとは思わなかったろう。

 

きっとこの問題を考えるうえで一番の問題になるのが、と言うかもうすでに現実に現れていのだが、資源状況が危機状態にあるにも関わらず無関係を装い行動に移さない消費者の態度そのものだと思う。

結局あのニュースの後もウナギの消費量が決定的に落ち込むことはなかった。むしろ落ち込むような事態があるとするならば、資源不足が招くウナギ価格の高騰ぐらいいでああろうか。あれだけ「食べられなくなる」だとかセンセーショナルに報道されたとしても、消費者の意識を変えるには至らない。

日本人はグルメな民族だと思う。スーパーにもいろいろな国内外を問わず水産畜産農作物さまざまな物産が揃い、顧客のニーズに応えている。でも消費者達はその食べ物の背景に何があるのかを知ろうとしない。

アメリカ産のオレンジが地下水尽きかけの灌漑農地で栽培されたのを知らないように、外食店で供される野菜のほとんどがいったいどこの国のどんな農薬を使ったものかも特に気に掛けないように、ウナギに関してもどんな流通ルートを辿って我々の食卓までやってくるのか、知ろうとしない。

 

自分個人が思うには、食の豊かさを多様性に求めるとするならそれが実現するのにいったいどんな背景があるのか、もっと知ろうとしてもいいんじゃないかと思います。むしろ豊かさを享受することは責任も伴うんじゃないかなと思います。

 

とりわけウナギに関しては絶滅に瀕している資源です。もしもウナギ食文化が本当にいいもので将来にわたって残していきたいと考えているなら、そこに行動はついてくるはずです。「どうせ絶滅してしまうなら今食べてしまわないと」なんて思うなら話は別ですが。

 

少しずつ近づいてくる土用の丑、今年ウナギを食べるか否かは皆さん次第ですが、もし食べるとするなら、あなたの食卓に乗っているウナギがいったいどのような背景を経てそこに至っているのか、少しだけ考えてみてはいただけないでしょうか。

 

気になった人は以下のページも見てみてください。ちょっと古いですが…

natgeo.nikkeibp.co.jp

 

半年が過ぎようとしているのでチラ裏まがいのこと書く

こんばんは

 

いよいよ今年も約半分が終わろうとしていますな。

6月も後半に差し掛かり、突然だが、みなさんは今年の初めに誓った「新年の抱負」なるものを覚えていたりしているものなのだろうか?

いや、そもそも新年の抱負なんてのを立てている人はそれほど多くないのかもしれない。

それとも三日坊主・正月三が日で儚くも散りゆく定めにあるというものが、新年の抱負とでも言えるのかもしれない。

 

焦燥感

抱負と言えるかは怪しいが、自分は今年の初め、今年のテーマは「焦燥感」だと設定し、折に触れてそんな感情を思い起こしてきたつもりだ。

何に関しても常に焦りを感じながら生きていたい。

余裕がある、安定しているなんて状況を志向してはいけない。

常に何かに追われているような感覚を覚えながら今年は過ごしたい、と考えている。

以前も書いたかもしれないが自分は「何もしない」ことが本当に苦手なタイプなのである。時間があってもじっとしてはいられない、むしろそれは何かをするためのチャンスなのだと考えてしまう。

限られた時間を濃厚なものにして味わいたい、そういう思いからこんなテーマを設定したつもりだ。

だけどよく考えたら、常に何かに追われている=焦燥感を感じるという状況は、今年のテーマにとして設定してからと言うよりは、生来の物事の考え方に由来するもので、なにか自分の中で変革を起こすための目標設定としては失敗だったのかもしれない笑

 

最近ネットでふらっと見かけた言葉の中に、なかなかいいものを見つけた。

誰の言葉かはわからないが、「命はもっと粗末に扱え」というものだ。

もっと粗末に扱ってこそ、普段からは認識しえないありがたみがわかるという意味なのだろうか?いやもっと考えようはあるかもしれない。

安定した、危険を感じない環境に身を置き続ければ人の命はその輝きを失う、とも読み取れる気がする。常に移り変わる状況に命を曝すことにこそ、人の生きる力は強さを増すんじゃないだろうか。

 

近頃はなんだか生活が冗長になりつつある気がする。

小さなことから、命を研ぎ澄ますようなきっかけを、焦りを感じながら見つけていきたいもんですな。

部活って何のために

こんばんは。

さっきfacebookを見てたらこんな記事が流れてきました。

 

citrus-net.jp

来年度から部活に「休養日」を設ける、かもしれないという話。

建前は生徒の健康を保つためというが、実際は教員の土日祝日の長時間労働を解消させたいというのが文科省の目的、だと記事では言われている。

まあ確かに教員側への配慮は検討に値するべきだと思う。ロクな報酬もないくせに休みの日に部活の顧問ゆえに大会の運営を任されたりとか、気の毒だとは非常に思う。好きでやっているならまだしも、いやいや押し付けられた役割を断りきれずに甘んじてやっている先生方だってたくさんいらっしゃるでしょう。

まあこんなこと書くとお前は公僕の肩を持つのか!!みたいなあらぬ批判を受けるかもしれませんが、じゃあ「教育」のためなら休みの日を犠牲にしてまで、先生たちの家族や大切な人々のことは無視してまで一教員が奉仕すべきなのか?と思うとおれはそうじゃない気がするんですよね。

 

とにかく「教育的価値」を前面に出されると非常にタチが悪い。それをないがしろにしているようなレッテル張りをされるとなお一層だ。

 

そもそも教育的価値とは?

おれ自身、なんだかんだで中高大とずっと部活に入っていたので(毎日練習があるという訳ではなかったが)部活動にもある程度の社会性やチームワークを鍛えることのできる、まあいわゆるところの教育的価値はあるとは感じています。

とりわけ素晴らしい成績を収めたわけでもないし素晴らしい身体能力があったわけでもない。でも続けた。なぜでしょうか。

まあ楽しかったんでしょうね

だから思うんです。部活動ってやっぱり「楽しく」あるべきものであって、そこが一番に来ないんじゃ、無理してまで参加しても「教育的価値」はそこにはないんじゃないかと思うんです。ひたすらに耐え忍ぶ力はつくかもしれません。しかしそんな苦しい思いをしてまで受動的なスタンスに括られてしまうと、自発的に「楽しい」ことを見つけ出そうとする意思に悪い影響が出てしまうような気がするのです。

 

ここでいう「楽しい」こととは、学校の勉強や部活動にもとらわれない自分が本当に興味をもって追求できる、興味や関心のことを指しているつもりです。決して短期的で享楽的な楽しみのことに重きを置けと言っているわけではありません。

 

とは言うのもおれ自身、人生の中で「ものすごく」部活動と言うものに入れ込んできた人々をたくさん見てきたからです。本当にいつこの人は自分の好きなことをして遊んでるんだろう...?みたいな人から、「練習がイヤで…」とぼやく人もよくいた気がします。

「そんなに嫌ならやめればいいのに」とおっしゃるかもしれません。でも学校と言うせっまい世界の中では厳しい同調圧力だったり非部活生に対する風当たりの強さもあって、そんな思いきったことが出来る人もあまりいないと思います。「桐島、部活やめるってよ」みたいに校内の人間関係メチャメチャになっちゃうかもしれません。いや、ちょっとあれは大げさすぎ…??

でもこれは生徒側だけでなく先生側にも言えることなのかも。

「あいつ、部活の顧問降りたいらしいぞ」って。

これも紛れもなく、「~さんが頑張ってるんだからお前も頑張れよ」みたいなことを強いる同調圧力の最たるものなんじゃないでしょうか。

 

 

確かに一つのことに熱心に打ち込むこと、それは確かに美しいと思います。

でもそのことをあまりに賛美化しすぎる風潮があるんじゃないかなと個人的には思ってしまうのです。なんだかそういう雰囲気が生徒や保護者、そして教職員の方々にもはびこっていて、今のような状態が出来上がってるんじゃないかって。

多感なティーンエイジャーにこそ、より広範な興味関心にアクセスできる環境って必要なんじゃないかと思います。それこそ学校以外の場所で得られるような素敵な経験ができるような場所が、もっと日本にもあればいいのになーって思います。

部活も重要です、でも個人的には校外で得られるような興味関心も大事。

何事もバランスです。

 

より広く社会を見ればみんなが同じ方向を向いても人それぞれの多様性は発揮されにくい。言ってしまえばみんなが同じようなことばっかしてもダメなんです。そこで、「教育的価値」を部活に見出す学校が未来を、今後の日本を見据えた上で今何をすべきか?

部活動に関して、もっと議論が深まればいいと思う今日この頃です。

 

最近観たもの読んだもの

こんばんは~

 

雨の日が続きますね~

どうやら梅雨入りもしたみたいで、これからはアウトドア趣味よりもインドア趣味が捗りそうな季節がやってきそうですね。

 

そんなわけで、このごろは色んな本やドラマを楽しんでいるので、それについて書こうと思いますよ。

 

ケイゾク

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若かりし頃の中谷美紀渡部篤郎のタッグで送る、サイコな感じ強めの刑事モノ。

「SPEC」、「TRICK」で知られる堤幸彦作品です。個人的には「池袋ウエストゲートパーク」も好きなんですが。

なんとも説明しがたいのですが、どこか現実感のない独特の雰囲気と異様なまでにクールなとこはクールに決めちゃう、温かみとかいう要素がものすごく欠けたようなドラマのように感じます。なんだか、90年代末って感じです(適当)

とにかく文章には著しがたい魅力にあふれたドラマです。主演だけでなくOPテーマまで歌っちゃう中谷美紀の透き通るような雰囲気が、どこか浮いているように感じてしまうのもポイントです。歌ってた頃の中谷美紀のアルバムすごくいいからみんな借りてみてくれ!

 

②続・最後から二番目の恋

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一言でいえばMr.ミキプルーン×キョンキョンの掛け合いが素晴らしいドラマ。

前作は見ていたのですが、続編は未視聴だったのでこのたびレンタルしてみることに。

前述したようにリアルでクスッと笑ってしまうようなスピード感あふれる掛け合いと舞台である鎌倉の雰囲気、そして個性豊かな、って言うか結構アクの強めなキャラクターが魅力的なホームドラマもの。

最初に紹介したケイゾクとは打って変わって、温かみにあふれたドラマです。見ようによっては非常にもどかしいような、けれども本音をズバズバ言い合える和平(中井貴一)と千明(小泉今日子)みたいな関係性、すごくいいな~って思います。

でもありそうで絶対ないよな~と思っちゃうのも、まあドラマならではなのかなと思います。

中年層をメインターゲットに据えたドラマらしいのですが、中国地方在住20代男性(独身)にも刺さりまくりです。おれは寂しい大人たちを見るのが好きらしい。とにかくこれを見てキョンキョンに萌えてくれみんな。

 

③下り坂をそろそろと下る

下り坂をそろそろと下る (講談社現代新書) : 平田 オリザ : 本 : Amazon.co.jp

「まことに小さな国が、衰退期をむかえようとしている」

という某歴史大河のオマージュで始まる著作。

少子化や格差、福祉といった日本を取り巻く諸問題に対し、「日本は衰退国家である」という前提からこれからのビジョンを見据えています。

文化資本格差や転換必死な産業構造、日本を席巻する「反知性主義的」な姿勢に対する言及も含めながら、これからの日本を支えていくためのヒントを「文化」的な側面から強化を図ろうとしている意図が読めます。

スラスラと読みやすい文体で書かれていて、あまり新書を読むようなタイプではないのですが、こればかりはなぜかあっという間に読み終わってしまいました。

リベラル色強めですがどこかトゲを感じさせない、また著者の本業である演劇の世界にも興味を抱かせてくれる良い本だと感じました。

 

HUNTER×HUNTER 33巻

HUNTER×HUNTER 33 (ジャンプコミックス) | 冨樫 義博 | 本 | Amazon.co.jp

3年ぶりくらい?の新刊。

暗黒大陸編」の導入なので圧倒的情報量&圧倒的加筆。

主人公がほぼ出てこないし守護霊獣キモすぎ、でも面白いです。

今編はクラピカとレオリオ中心に話が動くのでしょうか。

シリーズの中でも一番好きなヨークシン編的な群像劇に似てそうなので、今後も期待です。なる早で新刊出してくれよな冨樫先生!!

 

今日はこんなところで、月曜日から頑張りまっしょう。