いま流行りの、民泊について思うこと
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLASFS30H17_Q6A330C1000000/
皆さんご存知の通り、このごろは円安の影響か訪日外国人が日に日に増加していて、2020東京オリンピックを前に観光客による経済効果の期待が非常に高まっているね。
特にこの3月後半はイースター休暇なのか、キリスト圏からと思われる訪日客の姿をたびたび見かけました。
そこで最近気になるのが上の記事にも挙げたキーワード、「民泊」です。このごろ日本にもアメリカ発のAirbnbなんかが代表的な例ですが、ゲストハウスやユースホステルに並び、経済的な宿泊手段として観光客からの注目を浴びつつあります。
一応自分も訪日外国人をターゲットに据えた宿泊施設でアルバイトを経験したことがあるので、近年の訪日客の増加の激しさは驚異的なものであると感じています。
そこで最近になって非常に注目を集めだしたのが民泊。増加の一途を辿る訪日客の受け入れのために日本の空き家などを物件として提供する。なんと合理的。
2030年に6000万人とは言っていますが、現在の状況では宿がとにかく足りない。受け入れきれないのは目に見えています。いや、そもそも訪日客がそこまで増えるのかは今後の為替レートの状況次第でもあるしわからないんだけど...
そんななか見つけたこの記事。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6403
訪日客の中でも特に多い中華系の人々をターゲットに、中華系民泊が幅を利かせつつあるという。
爆買いという言葉が流行語になるほどには近年の中華系訪日客の影響力は日本の観光業において非常に大きな存在感があります。
そういった中華文化圏の人々が使いやすいような表記(つまり、中国語表記にして言語の壁を乗り越える)のウェブサイトを入口に手頃な宿泊サービスを提供する。
大陸からの来訪者によく見られる旅行モデル、例えば大家族単位の旅行や長期滞在の要望にもドミトリーなどではなくプライベートルームの提供がメインな民泊ならではの対応が可能だからこういった形態が伸びに伸びるのも納得です。
何より、こういったサービスが伸びていることから自分たちの母語でナチュラルなやり取りがサービスの提供者との間で可能な点、つまり安心感やコミュニケーションにおける利便性を彼らが求めている、というのを如実に感じ取れます。
オリンピックがあるからもちろんのこと、今後の日本は観光立国としての側面をますます強めていく必要があるのは間違いありません。
ただ、日本側が迅速に訪日客の受け入れ体制を整えなければ今後は潜在的な需要までキャッチし損ねる事態にまで発展しかねません。
いち早く時代の流れを感じとり法律の規制も緩やかなうちから民泊営業に参入した彼らは非常に強かと言えます。
2020年までにこの国の訪日客向けの宿泊形態がいかに変化していくか、どのような対策をとるべきか、時間はあまり残されてはいません。
個人的に非常に面白い問題だと思っているので、今朝から連続して民泊関連の記事を読んだので新幹線の時間を活用して書いてみました笑
欧州旅行② Amsterdam part2
アムステルダム編②です。
滞在三日目は、アムステルダム市内をひたすら歩きまわることに。
ライツェ広場
コーヒーショップやカフェ、バーなどが立ち並び、夜は喧騒に包まれます。
ちなみにコーヒーショップと言うのは、オランダ国内では合法とされているソフトドラッグを取り扱っている店のことであり、もちろんコーヒーも飲めるには飲めるのですが、そういう場合は極力カフェに行った方がいいでしょう(笑)
そういうわけで、ライツェ広場には怪しいケムリとニオイが充満しているのです。
オランダだなー、って感じです。
ライツェ広場に通ずるライツェ通り。土産物屋やチーズ屋飲食店、H&Mみたいによく見るお店もあるストリート。トラムが人混みすれすれを通るのでちょっと焦ります。
THEアムステルダム!!って感じです。運河はどこで撮っても画になる!
アムステルダムの花市。
お土産屋とチーズ屋もあるくらいなのでいわゆる観光スポットです。
BONSAI売ってます。
そしてもちろんチューリップも。
これを売りまくって近代におけるオスマン帝国の勢力縮小にもつなげたとか…
あ、後付だったみたいですね笑
アムステルダム中心地、ダム広場に向けて歩き続けます。
ジョニー・デップが見える。
王宮。もとは市庁舎→ナポレオン時代(ホラント王国)→オランダ王室所有
という経緯のもとにオランダの歴史を見守ってきたダム広場の代表的建築。
ダム広場の前でめっちゃ周りをキョロキョロしてる黒人男性に「写真撮って~」って声かけられたけど挙動が不自然すぎたので無視。
その後白人男性が捕まって写真を撮っていたのを見たけど撮影後も周りをキョロキョロして声を掛け続けてたからたからたぶん観光客を装うスリかなんかだったんでしょう。
皆さんもオランダ行くときは注意してくださいね。
ダム広場を後にしてアムステルダム西部に向かいます。
おもしろい建築様式です。
ただのアーケード商店街なんですが笑
西教会につきました。レンブラントが埋葬されていることで有名らしいです。
この裏には言わずと知れたアンネ・フランクの家があるらしい。どれどれ…
はい!
ということでアンネの家は華麗にスルーして散策を続けます。笑
修学旅行とか遠足っぽい子供もたくさん見かけました。
アムステルダムの西にあるヨルダン地区を運河に沿って歩いていきます。
ヨルダン地区は、運河のすぐそばに所狭しと立ち並ぶ様子が印象的な区域です。
ここら辺の景観はアムステルダムでもピカイチだと思います。
カフェやレストランが集まるこの界隈では地元の人々の姿も数多く見受けられます。
何とも言えませんがおれは旅行先でもランドマーク的なスポットに行くよりはこういう人々の生活感が染みわたっているところを歩き回るのが大好きなので、写真を撮ることさえもほとんど忘れて歩き回っていました。笑
独特なデザインの建築。ダッチ・デザインとはこういうもののことを言うのかね。
ヨルダン地区方面からアムステルダム中央駅方面に向かう道。
やたらとコーヒーショップが多く、昼間からキメちゃってる人々も多いので、夜に通ったらもっと雰囲気はヤバそうです。
少し歩き疲れたので昼食にハーリングサンドを屋台で購入。
ニシンをしょっぱ酸っぱく漬けたものですが、これは魚好きの日本人にもウケそうな味です。街を歩けばあちらこちらで手ごろな値段で売っているので、旅行者にもありがたいです。こういう食べ歩き文化もオランダは割と発達してる感じがします。
アムステルダム中央駅。
国際列車でベルギーでもフランスでもドイツでも行けちゃいます。
東京駅はこの駅をモデルにして作られたらしいです。
言われてみれば、似てないこともないような???
海事博物館。
17世紀の黄金期から現在に至るまでの貿易の歴史や捕鯨についての展示もあり、個人的には楽しめました。
建物はオランダ海軍の補給関連施設だったものを使っているそうです。
中央駅方面から旧教会・旧市街に向かいます。
アムステルダムの中でも治安が悪い地域とは聞いていましたが、昼間はそう感じませんでした。
まあ夜に行ったらこれでもかってくらいファンキーな世界でしたが笑
旧教会
そして、アムステルダムと言えばやはり「飾り窓地区」
現地ではRed Light Districtと呼ばれています。
オランダではなんと買収まで合法にされているので、そういう商売がここ飾り窓地区で行われているのです。昼間はこんな感じの雰囲気なんですが、
ところどころに見える赤く輝く「飾り窓」からオネーチャンが誘惑してくる、というファンキーなプレイフィールドに大変貌を遂げます。
飾り窓だけでなくアレな店もいっぱい。果てしなくリベラルな国ですね~
ここらへんで写真を撮るとオネーチャンやこわーいオニーサンにぶん殴られるとか聞いてたんですけど、そんなこともなく他の観光客もバンバン写真撮ってました。
まあジャンキーみたいなのが暴れて警察が呼ばれる、なんて一幕を目撃はしたんですけどね…
飾り窓地区のフリッツ屋で休憩。てっきりベルギーのイメージがあったんですが、オランダにもあるんですね~。ちなみにこれはチーズ味。スタンダードはマヨネーズ味です。
ホステルに戻って少し休憩を取った後はHeineken Experienceというハイネケンビールの歴史が学べてちょっぴり飲めちゃう!なんていう素敵なスポットに行くことに。
なかなかたどり着けなくてウロウロしてたら同じく旅行者っぽい風貌の男女3人組にも突然話しかけられ、
「Heineken Experienceどこにあるか知ってる?」
と尋ねられる珍事発生。笑
おれも今探してるんだよーと答えると成り行きで一緒に行くことに。彼らは亜米利加のフロリダから来ていて、欧州周遊の途中らしく昨日まではブリュッセルにいたという。
道行く人に道を聞いて回り、変な組み合わせの四人組はどうにか最終的にたどり着きました。
全部英語でところどころ聞き取れないところもありましたが、おおよそのニュアンスは汲み取れたしアトラクション自体は非常に面白かったので個人的にはお勧めのスポットです。何よりビール飲めるし。
アムステルダム編はこんなところです。
街並みは本当にきれいで、また訪れたいと感じてしまう素敵なスポットです。
写真だけでは伝わらない魅力もたくさんあるので、ぜひともいつの日かアムステルダムに足をお運びくださいな!
そういえば、時代の最先端を行くトレンドショップもアムステルダムにはありました。
結構な頻度で着ている人々を見かけるので、ついつい笑ってしまいます。
欧州旅行① Amsterdam part1
3/6~3/21の欧州旅行記第一弾です。
まずは最初、アムステルダムから。
関空から11時間直行のフライトを経て、アムステルダムはスキポール空港に到着。
バスに乗り、宿泊予定のホステルに向かいます。
こっちのバスってトラムの軌道もガンガン走っちゃうんですねー…
こちらがアムステルダムでのユースホステル。オランダではyouth accomodationのことをstayokayと呼ぶそうです。
チェックインの手続きを済ませ、ドミトリーに荷物を置いたら、近隣のスーパーマーケットの場所を教えてもらい、食材リサーチ!
現地の食生活を垣間見れるスーパーマーケットを訪ねるのは、海外旅行の醍醐味の一つです。
ざっと見たところ…
・とにかく乳製品が安い。1ユーロからなかなかのサイズのチーズが買える。そりゃオランダ人デカいわ。
・そのまま食べられる!みたいな感じの惣菜は日本ほどレパートリーは多くない。場所によっては寿司が買えるところも(Albert Heijnとか)
・生鮮品はモノによっては日本よりも安い。魚介系はニシンやサケ、ナマズ、ムール貝などを目撃。
・ほぼ全てがもちろんオランダ語表示なので理解できない。特に加工食品は判断しにくい。
店内をぶらぶらした末にハーリング(ニシンの酢漬け)と適当なパンとチーズを購入し、夕食とすることに。この日は時差がきつく、明日に備えてもう寝てしまいたかったのだ。
そして翌日。
この日は美術館めぐりと決めていたので、まずはヴァン・ゴッホ美術館へ。
草創期から晩年に渡るまでのゴッホの作品がまとめられており、初期の農民をモデルにしたものから後期の精神疾患による作風の変化なども感じ取れ、ゴッホとはなんたるかを丸々感じ取れました。
ちなみに、かの有名な「ひまわり」は修繕中とのこと。残念…
国立美術館、RIJKS Museum(ライクス~)前のI amsterdam signは観光客でごった返しております。ぶっちゃけただのダジャレです。スキポール空港の前にもありましたが結構これ好きです笑。デザインがモノを言うってこういうことですよね。
数年前にリニューアルオープンを果たしたらしいです。
コレクションはアジア美術から近代まで多岐に及びます。
鎖国中のオランダと日本の関係を示す作品も。
思えば蘭書を、それも非常に専門性の高い医療所を翻訳した杉田玄白ってほんとにすごい人だったんだな~
若かりし頃のレンブラントと大作「夜警」実物ホントデカくてびっくりしました。
この絵にはモナリザ並みにいろんな仕掛けが施されているので気になる人は調べてみてください。非常に面白いです。
そしてオランダと言えばやはりフェルメール。
「手紙を読む青衣の女」と「ミルクを注ぐ女」細部の小物の書かれ方や明暗のバランスまで徹底していて、近くにおいてある英語解説を合わせて読むと一層魅力を味わえます。
「夜警」やフェルメール作品が一堂に会するフロア。
今度来たときは、もっとゆっくり時間を取って見ることが出来なかった作品も細部まで味わいたいですね~
ちなみに、RIJKS Museumでの個人的に一番のお気に入りがコレ。
ヤン・アセリン「威嚇する白鳥」
巣を守ろうとする白鳥を躍動感をもって描かれた一枚。
ホンマに白鳥かいな、ってくらい格好いいです。
アムステルダム編は次回に続きます。
なんだかこの旅行記長くなりそうだな~笑
ちょっとずつ書いていくこととします。
月と孤独と縁
今日、というか昨日は大学の卒業式で、おれもまあ人並みに騒いで騒いで、今はちょうどそれが終わったところです。
帰り道にふと空を見上げると、大きな満月がぽつんと暗闇の中に浮かんでいました。
他に輝く星のようなものは見えず、ただ大きな満月が一人ぼっち。
多くの人々との別れの場を経て、ひとり路地を歩くおれの姿は、なんだかその頭上の月のように、ただ孤独の闇の中に存している。
奇妙なことに、自分自身の姿を天体にまで重ね合わせるほどの孤独を感じていたのです。
以前ブログでも書いたようにあまり別れという事象にたいしてあまりセンセーショナルにならないはずだったのですが、今日はこんな月を見てしまったせいか、ものすごい寂寥感を感じてしまいました。
おれとお前は仲間だと、月に対してこんなに親近感を感じたのはおおよそ初めてのことでしょう。
あまりに綺麗な、そして孤独な満月。見ているうちにふと考えました。いやま待てよ、月ってなんで輝いてるのかと頭をよぎる。
皆さんご存知の通り、月が太陽の光を受けて反射したものが私たちの受ける月の光として認識しているのです。太陽の光がなければ、私たちは暗闇の中に浮かぶ月を認識することさえできないのでしょう。
ブログのタイトルにある「諸法無我」という言葉、一種の仏教用語なのですが、その意味するところは世の中のあらゆる物事や事象には本質たる「我」は存在せず、全ての物事や事象は他との関係(縁)によって初めて成立している、という思想です。おれの好きな言葉のひとつです。
そう思うと、月というのは太陽との関係があって初めて人間の視覚に認知されうる存在になる、ということですよね。これって諸法無我じゃんか!
おれの頭上に浮かぶあの寂しげな月だって、太陽の光があって初めて輝けるんなら...
表面的には今は寂しく見えるのかもしれないけど、過去現在そして未来の様々な関係性を作り上げるおれたち人間、実はひとりぼっちにみえるけどもそうじゃないかもしれない。ますます月に似て見えてくるじゃないか。
誰かが月で誰かが太陽。
時にはおれが月であんたが太陽。或いは時に逆。
寂しさゆえの妄想なのかもしれない。しかし、寂しさを感じるというのはおれもそういう縁ある命のもとに生きているんだな~、という実感の裏返しなんじゃないかな。
いまこの瞬間、おれにそっくりな満月の月明かりのもとで寂しさを感じつつ、嬉しさもまた感じている。
欧州旅行から帰ってきました
昨日、2週間のヨーロッパ旅行から日本に帰ってきました。
行程としては
→サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)→ドゥブロヴニク(クロアチア)
と巡ってきました。
当然のことなんですが、ヨーロッパとは言ってもやはり個別の国ごとに宗教や文化・食べ物のの違いなど様々な特徴があって、常に刺激にさらされてきた旅行だったなーと思っています。
今回のルート、いわゆる西欧地域だけでなくバルカン半島も含まれています。
というのも、以前からバルカン半島に興味があって、ヨーロッパに行くのであれば多少無理なルートを採用してでもバルカン半島に行きたいという思いが強かったからなんです。もちろん西欧地域にも興味があってそっちにも時間を割きたかったので今回は日程的にもボスニアとクロアチアにしか行けなかったんですが…
バルカンに興味を抱いたきっかけとしては、やはりおれが生まれたころに起こっていたユーゴ紛争のことが第一に挙げられます。
歴史の教科書で見ても単に「連邦崩壊に伴う独立志向の高まり・民族対立が原因で紛争が起きた」としか書いていないものをより知りたいと思うきっかけとなったのは、高校のころに見た2chのとあるスレッドでした。
(刺激の強い描写が多いので、一応注意です)
スレッド中で語られる物語はあくまでフィクションではあると語られていますが、フィクションだからこそ実際はどうであったのかを知りたいという気持ちは一層強くなり、やがて今回の旅行にまで至りました。
おれは今日頻発している紛争やテロとも、ユーゴ紛争は関係がないとは言い切れないと感じています。
根底にあるものは同じ。異なる宗教や民族、異質なものに対する恐れや不安がもととなり、血で血を洗う戦いが繰り返されている。異文化を受容するということは口で言うのは簡単だけど、これまでに繰り返されてきた歴史はそれがいかに困難な道であるかを証明しています。
ついこの記事を書く前にブリュッセルでテロが起こり、自分が乗り継ぎで利用した空港でも爆発が起きたと言うので非常に驚いています。少し旅程がずれていたら・・・
今回訪れたボスニア・ヘルツェゴヴィナもボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦とセルビア人共和国からなる連邦国家であり、ボシュニャク人とセルビア人は形式上は同じ国家に属しながらも、実質的には異なる二つの行政単位に分かれて生活しているのです。国内の民族対立は紛争が終わった今でも根深いのです。
今日の世界情勢を考えるうえで民族・宗教対立に関する知識は外せない要素だと思っています。そういう意味で、ボスニアを訪れることが出来たのは今後何らかの形で生きるであろう良い経験になったと感じたのと同時に、一方の日本は紛争に発展するほどの民族対立は今日では起きていないことから、改めて幸せな国だと感じました。
(もっとも、琉球やアイヌの人々といったように今やほとんど「日本人」と同化してしまっているのですが)
なんだかグダグダと綴ってしまいましたが、今後は個別の旅行記をアップしていこうと思います。
ブリュッセルで生牡蠣食ってる
こんにちは?こんばんは?
こんばちは??
ただいま欧州を一人旅していて、ベルギーはブリュッセルに滞在中です。
ベルギーといえば気軽にシーフードを楽しめる!!ということでまだ明るいうちから生牡蠣でベルギービールをキメてきました笑
ここのおねえさん、英語もフランス語もバリバリでオーダーが入ると否や、テキパキと牡蠣を剥いてくれるし愛想はあいしで最高です。
おねえさんが教えてくれるには、四種類の牡蠣があるそうで、とりあえず全種類を試してみました。
写真の上から、
①OLELONS
フランスの牡蠣、この中じゃ一番しょっぱい!
②TIA MARAA
まあまあクリーミー、Irish産らしい。
③GILLARDEAU
身が大きい、ぶっちゃけ一番これがオススメ!
④PLATTE
いわゆるマガキではなくヒラガキの1種。歯ごたえがいい。
それぞれの牡蠣をVOLGAとZINNE BIRという二種類のベルギービールで流しこむ!
やはり③のやつが一番美味しかったです。
おねえさんに伝えると、いい舌持ってるねー、って。あざす。
そういえばベルギービールといったら正直なところDuvelしか知らなかったからスーパーとかレストランとか行ってこんなにたくさん銘柄があるのを知ってビックリ。
他には鮭のマリネを注文。
う~む、でりしゅ~
夕方に一休みしたら、また飲みに行こっかな~
中国旅行④ 香格里拉(Shangri-La, Xiang ge li la)
いよいよラストです。
二日目の朝、起きたらそこは…
銀世界やんけ!!!
しかし外を出歩いた感じ思ったよりも暖かい。
これはすぐに溶けるなと踏み、香格里拉における計画の実行のためにまずは古城に向かい、適当にプラプラ歩いて白タクが声をかけてくるのを待ってからチャーターする作戦を実行。代理店とか通したら高そうだし。
古城に入ってすぐに声をかけられる。
おじちゃん「くぁwせdrftgyふじこlp;????」
行きたいところを書いたメモ帳を見せると
おじちゃん「おk!」
地元のチベットおじちゃんドライバーをチャーターして、石卡雪山(shi ka xue shan)、ナパ海、松賛林寺(song zan lin si)の三か所を巡ってもらうことに。
メモ帳片手に交渉して、150元。
はっきり言って、格安です笑
これだから白タクはやめられねえぜ!
というわけで、まずは石卡雪山のある藍月山谷風景区へ。
公園の入り口に近づくと、チベット仏教の祭壇(オボ?と言うモノ?)が両脇に見えてくる。
ロープウェイ乗り場で220元を支払い、ここから4500mの石卡雪山の頂上を目指す。
ちなみにロープウェイは二基乗り継ぐ必要があります。
この写真、カナダで撮ったって言っても信じかねないですね。
谷底には放牧ヤクが数頭。
一基目を乗り終えたところの風景。
ここはまだ天気がマシ…
二基目のロープウェイを乗ってる途中に、森林限界かと思われる場所に達します。
この先はいよいよ岩と雪だけの世界です。
高山病気味なのか、心なしか頭痛が…
腹式呼吸を意識します。
ついにピーク付近の遊歩道に到達!吹雪いています。何も見えない。
天気のいい時ならばシャングリラ市街や北方にある6000m級の山々を眺望できるとのことでしたが、それどころではない笑
4500m!富士山を越えたゾ!!!
時折晴れ間も顔を見せますが、ほんの一瞬…
ピークにいた時はアドレナリン出まくりで高山病なぞどこへやら、と言う感じでしたがとにかく吹雪が酷く寒いため、見るものを見た後は再びロープウェイにて下山しました。
降りるころにはこれでもかってくらい晴、晴、晴!
タルチョが揺れるさまが美しい。
続いて向かったのがナパ海と呼ばれる広大な草原地帯。
雨季には雨水が溜まり広大な湖が出現するらしいのですが、残念ながら今は乾季。
荒涼とした大地が広がっています。
あちこちで豚やら馬やら鳥やらをみかけます。
ドライバーのおっちゃんのジェスチャーから察するに、この鶴のような鳥が見られるのはけっこうレアだぞ!とのこと。
確かに野生の鶴なんて滅多に見ないですもんね。
続きまして、ナパ海を後にして香格里拉の小ポタラ宮とも呼ばれる松賛林寺に向かいます。
松賛林寺へのシャトルバス乗り場。
中国の観光地はなぜか巨大ディスプレイ付けたがり。
ここで料金を払ってバスに乗り、少し離れたところにある寺院に向かいます。
THEチベット寺院と言う感じです。
確かにラサのポタラ宮に似ていますね。
3つの大きなお堂のうちひとつ。内部は撮影禁止です。
独特の美的感覚です。
チベット仏教に近い系譜を持つ日本の密教も国内の仏教としては比較的特殊な教義や美的感覚をもっているのも納得させられます。
寺院内部は僧侶の生活区域も兼ねているようで、掃除や洗濯、そして修行に励む僧侶をよく見かけます。
今回のベストショットだと思います笑
チベット仏教は仏教とチベット土着の宗教が結びついて生まれたものであり、仏教としてはある程度共通した世界観を感じられるものの、実質は別物であり、仏教と一言で言っても伝播した先々で独自の発展を遂げていることを実感させられます。
もちろん、日本も例外ではないのですが。
独特の雰囲気の中で、チベットの人々の信仰の一端を知ることができ非常に面白かったです。
松賛林寺を後にして、おっちゃんに今日のチャーター代を払った後は古城内の食堂へ。
ほいこーろー
えのきと豚肉のスープ
チャーハン
まーぼーどーふ
全部激ウマでした。
連日のスパイシーフードの応酬に耐えてきた我々でも安心して食べれるほどの、中国にしてはやさしい味でした。
最後に宣伝笑
シャングリラにお越しの際は、ぜひこちらのお店をごひいきに!!