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諸法無我

旅行記や、日々思うことについて

3月といえば出会いと別れ

ついさっき3月になりました。

たくさんの人々が多くの出会いと別れを経験する季節になりました。

近所の高校は明日が卒業式の様子。

大学でももう会わないのか~、みたいな話をよく聞く。

おれ自身も、先ほど最後のアルバイトを終え、バイト先の人々に別れを告げてきました。これからも元気でやっていきます、みなさんもどうかお元気で、と。


巷に別れが溢れているね。

おれは正直なところ、あまり別れというものに名残惜しさみたいなのを感じるタイプじゃなくて、ひょっとしたらみんなが感じている別れの辛さや悲しみとおれのそれはイーブンじゃないかもしれない。

というのも、中学の二年になるまでに数多くの地域を引っ越して回り、あまりに多くの別れを経験してきたという背景があるからじゃないかなー、と思ってるんです。

つまり長期的に固定された人間関係を築いてきたようなタイプじゃないのです。特に義務教育期は常に流動的な人間関係のもとに曝されてきたので、ある意味別れというものに対して慣れの感情を醸成してきたという自覚は少しあります。

むしろ別れの悲しさに浸るよりも、その先にある新しいものや人々との出会いへの期待に胸を震わせてきたように感じています。

高校から大学にかけては今までに比べたらある程度固定化された人間関係を築くことができて、すごく新鮮味を感じた経験もあるし、そこでの出会いは今でもおれにとって大切なものだと思えるようになったしおれもちょっとは変わったのかな~と。

そんな経緯があって別れは辛いものだという感情はもちろんおれも持ち合わせているのだけれど、幼少期から抱いている別れの先の未知の領域との遭遇には心を震わさざるを得ない。きっと面白い出会いがあるさ、っていう希望的観測が今まで人生の節々で働いてきたんだなー、って新たなステージの到来を前に改めて感じているのです。

あと、別れというのも絶対じゃないと思っているから、っていうのもこういう希望的観測を抱く根拠になってるんじゃないかと。

よく別れの際に言われるような、もう会えない~、っていうのは気軽に会える環境が消えることを指しているだけで、当たり前だけど別れる人そのものが消えるわけじゃない。

イマドキはSNSとか便利なものもあるし交通手段も発達してるし、本当に「二度と会えない」みたいなことはきっと起こり得ないと思う。

重要なのは、その人にもう一度本気で会いたいと思えるような素晴らしい関係を築けたかどうかで、会いたい意思が本当にあるかないかじゃないかと思う。距離や都合は関係ない!時間も都合も意思さえあれば作れるよきっと。

と、今は願っていたい。


数々の別れの先に幸あれよ!

https://youtu.be/9hAVadkq6SA