諸法無我

旅行記や、日々思うことについて

「ヤサシイワタシ」と「人間失格」

先日、つい入った古本屋で懐かしい漫画を見かけて思わず買ってしまった。

 「おお振り」のひぐちアサ先生の作品ながら、ヘビー。

一見大学のサークルを舞台にした爽やか青春ものかと思えば、物語は急に陰鬱な雰囲気に包まれていくのは見ごたえがある。そして登場人物の会話劇における間の作り方、コマ割りやセリフは本当に現実における会話もこんな感じなのだろうという突き詰めたリアルさがあって、物語としての不自然さがない。なんだかとにかくすごい漫画だったのはよく覚えていた。

懐かしい、というのも実は高校時代に読んだことがあって大筋のストーリー何となく覚えていたのだけれど心理描写など難解な点が多くそのすべてを理解できなかった。

そしてつい先日うっかり見つけてしまったので今ならどんな目線で物語を楽しめるだろうかと試しに買って読んでみた。

内容に対する理解は初めて読んだ時よりも幾分進んだと思う。

だがわかるようになった結果、とにかくしんどい。

なにしろヒロインであるヤエの考えることがとにかく自分と重なる。

20代半ばの今になってなおさら、彼女の考え方は近しいものだと感じたし、彼女が見出した結末も何となくわかる気がした。

あまり書きすぎるとネタバレになるけど、自己の力を見誤り高ぶりすぎた承認欲求を抑えきれることができずに破滅するヤエの姿がそこにあって、なんだかとても痛々しい気持ちになる。夢に対する強い思いと強烈なコンプレックスを併せ持ちながら、その有り余る行動力に実力がついていかないがため常に人々からは「そういう人」という烙印を押される姿。そしてそれが自分に重なり、ここまで読んでいて気分が重くなった漫画は久しぶりだ。

 

ところでこの漫画を読んでいてなんとなく想起したのが太宰治の「人間失格」だった。

ご存知のように自己のありのままを愛せなかった男が薬物中毒になり、堕落していく話である。「ヤサシイワタシ」におけるヤエも「人間失格」における葉蔵もきっと根本は同じだったのだろうと思う。ありのままの自分が何らかの理由で許せなくていろいろ試してみるけど結局はうまくいかなくて、自分が考えもしなかった方向に堕ちてしまう。

 

たぶんこういう破滅を約束された物語、自分は結構好きなんだと思う。一生懸命自分の不甲斐なさを拭おうと懸命に取り組む人間が自己受容に失敗して空回りしていくタイプのストーリーライン。見ていてハラハラするけどなんだかとても愛おしく感じる。そういう不器用さを愛らしいものとして受け入れられるかイライラの権化として捉えるのかは自分が当事者側に立てるかであるか傍観者側に立つかによって変わってくるはず。

人間のぶきっちょさをどこまで愛せるか、そんなテーマを掲げた作品です。おすすめです。