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諸法無我

旅行記や、日々思うことについて

西域になぜ惹き付けられるのか


今日は古本屋美術展の図録を買ってきた。1991年東京国立博物館で開催された特別展のものだ。

特別展の名前は、「ドイツ・トゥルファン探検隊 西域美術展」

西域―中国西部の新疆ウイグル自治区からトルキスタンと称される中央アジア一帯のエリア、なぜか自分はこのエリアの文化や習俗、歴史に強く惹かれるのです。

西域は古くより中華文明とインド文明、そしてメソポタミアをはじめオリエントやヘレニズム文化圏をもつなぐ、交易で栄えたという絹の道ことシルクロードの要衝が連なる。

もちろん商業上の要衝ゆえに、この地は何度も戦火に苛まれてきた、そしてあらゆる民族や文明が代わりがわり自らの支配を打ち立てては滅び去り...といった歴史が繰り返されてきた場所でもある。

個人的に大好きな漫画、「シュトヘル」もモンゴルに滅ぼされる運命にある「西夏」と呼ばれる国の文字を守る…というストーリーだ。西域の歴史の一端が描かれている。


今でこそ西域に根を張るのはウイグル人をはじめとしたムスリムが大半らしい。しかしこの西域という地域からはおびただしいほどの仏教関連美術品、それもヘレニズムやインドのガンダーラの影響を受けた、文化の交差点としての性質を併せ持ったものが多数出土している。

かつて仏教の一大興盛地だったことをこの地域の出土品たちは今も語っている。

文化・文明の交差点というのは常に争いの火種になりやすい。今の世界情勢や学んできた歴史を振り返ってみるとそれは自明の理だ。滅ぶものもあれば、生き残るものもある。

自分が強く興味を惹かれるのは、滅びゆく者が遺していったものの方だと感じたのは、おそらく井上靖の「敦煌」という小説を読んだからだと感じている。

敦煌という町の石窟寺院から出土した、大量の経典などをモチーフにした歴史小説なのだけれど、今にも滅びの危機にあるにもかかわらず、その時にどういった思いをもってどんな人々がなぜそんなものを遺したのか、という思いが非常に自分の胸を突いたのを覚えている。

なにかを遺すこと、命をつなぎ子孫を残すこと以外にそんな方法を志した人々がいたことに、なんだか心が動いてしまう。上記したようにかつては仏教文化圏だった西域も今やムスリムの文化圏が多数を占める。出土品の語る西域の文化は今そこにすんでいる人々のものとは別物であることが、余計に心を打つ。現代との連続性のなさゆえの面白さだ。

あらゆる文化や民族がぶつかり合い、独自の様相を生み出し、そしてタクラマカン砂漠のなかに消え去った人々の思いの数々―悠久のロマンを感じさせる出土品の数々が、今も自分のような人間を惹き付けているのだろう。