諸法無我

旅行記や、日々思うことについて

部活って何のために

こんばんは。

さっきfacebookを見てたらこんな記事が流れてきました。

 

citrus-net.jp

来年度から部活に「休養日」を設ける、かもしれないという話。

建前は生徒の健康を保つためというが、実際は教員の土日祝日の長時間労働を解消させたいというのが文科省の目的、だと記事では言われている。

まあ確かに教員側への配慮は検討に値するべきだと思う。ロクな報酬もないくせに休みの日に部活の顧問ゆえに大会の運営を任されたりとか、気の毒だとは非常に思う。好きでやっているならまだしも、いやいや押し付けられた役割を断りきれずに甘んじてやっている先生方だってたくさんいらっしゃるでしょう。

まあこんなこと書くとお前は公僕の肩を持つのか!!みたいなあらぬ批判を受けるかもしれませんが、じゃあ「教育」のためなら休みの日を犠牲にしてまで、先生たちの家族や大切な人々のことは無視してまで一教員が奉仕すべきなのか?と思うとおれはそうじゃない気がするんですよね。

 

とにかく「教育的価値」を前面に出されると非常にタチが悪い。それをないがしろにしているようなレッテル張りをされるとなお一層だ。

 

そもそも教育的価値とは?

おれ自身、なんだかんだで中高大とずっと部活に入っていたので(毎日練習があるという訳ではなかったが)部活動にもある程度の社会性やチームワークを鍛えることのできる、まあいわゆるところの教育的価値はあるとは感じています。

とりわけ素晴らしい成績を収めたわけでもないし素晴らしい身体能力があったわけでもない。でも続けた。なぜでしょうか。

まあ楽しかったんでしょうね

だから思うんです。部活動ってやっぱり「楽しく」あるべきものであって、そこが一番に来ないんじゃ、無理してまで参加しても「教育的価値」はそこにはないんじゃないかと思うんです。ひたすらに耐え忍ぶ力はつくかもしれません。しかしそんな苦しい思いをしてまで受動的なスタンスに括られてしまうと、自発的に「楽しい」ことを見つけ出そうとする意思に悪い影響が出てしまうような気がするのです。

 

ここでいう「楽しい」こととは、学校の勉強や部活動にもとらわれない自分が本当に興味をもって追求できる、興味や関心のことを指しているつもりです。決して短期的で享楽的な楽しみのことに重きを置けと言っているわけではありません。

 

とは言うのもおれ自身、人生の中で「ものすごく」部活動と言うものに入れ込んできた人々をたくさん見てきたからです。本当にいつこの人は自分の好きなことをして遊んでるんだろう...?みたいな人から、「練習がイヤで…」とぼやく人もよくいた気がします。

「そんなに嫌ならやめればいいのに」とおっしゃるかもしれません。でも学校と言うせっまい世界の中では厳しい同調圧力だったり非部活生に対する風当たりの強さもあって、そんな思いきったことが出来る人もあまりいないと思います。「桐島、部活やめるってよ」みたいに校内の人間関係メチャメチャになっちゃうかもしれません。いや、ちょっとあれは大げさすぎ…??

でもこれは生徒側だけでなく先生側にも言えることなのかも。

「あいつ、部活の顧問降りたいらしいぞ」って。

これも紛れもなく、「~さんが頑張ってるんだからお前も頑張れよ」みたいなことを強いる同調圧力の最たるものなんじゃないでしょうか。

 

 

確かに一つのことに熱心に打ち込むこと、それは確かに美しいと思います。

でもそのことをあまりに賛美化しすぎる風潮があるんじゃないかなと個人的には思ってしまうのです。なんだかそういう雰囲気が生徒や保護者、そして教職員の方々にもはびこっていて、今のような状態が出来上がってるんじゃないかって。

多感なティーンエイジャーにこそ、より広範な興味関心にアクセスできる環境って必要なんじゃないかと思います。それこそ学校以外の場所で得られるような素敵な経験ができるような場所が、もっと日本にもあればいいのになーって思います。

部活も重要です、でも個人的には校外で得られるような興味関心も大事。

何事もバランスです。

 

より広く社会を見ればみんなが同じ方向を向いても人それぞれの多様性は発揮されにくい。言ってしまえばみんなが同じようなことばっかしてもダメなんです。そこで、「教育的価値」を部活に見出す学校が未来を、今後の日本を見据えた上で今何をすべきか?

部活動に関して、もっと議論が深まればいいと思う今日この頃です。